を一人世話してあげようか」
馭者は傲然《ごうぜん》として、
「そんなものは要《い》らんよ」
「おや、ご免なさいまし。さあ、お掃除《そうじ》ができたから、一服|戴《いただ》こう」
白糸はまず二服を吃《きっ》して、三服目を馭者に、
「あい、上げましょう」
「これはありがとう。ああよく通ったね」
「また壅《つま》ったときは、いつでも持ってお出でなさい」
大口|開《あ》いて馭者は心快《こころよ》げに笑えり。白糸は再び煙管を仮《か》りて、のどかに烟《けぶり》を吹きつつ、
「今の顛末《はなし》というのを聞かしてくださいな」
馭者は頷《うなず》きて、立てりし態《すがた》を変えて、斜めに欄干に倚《よ》り、
「あのとき、あんな乱暴を行《や》って、とうとう人力車を乗っ越したのはよかったが、きゃつらはあれを非常に口惜《くや》しがってね、会社へむずかしい掛け合いを始めたのだ」
美人は眉《まゆ》を昂《あ》げて、
「なんだってまた?」
「何もかにも理窟《りくつ》なんぞはありゃせん。あの一件を根に持って、喧嘩《けんか》を仕掛けに来たのさね」
「うむ、生意気な! どうしたい?」
「相手になると、事がめんどうになって、実は双方とも商売のじゃまになるのだ。そこで、会社のほうでは穏便《おんびん》がいいというので、むろん片手落ちの裁判だけれど、私が因果を含められて、雇を解かれたのさ」
白糸は身に沁《し》む夜風にわれとわが身を抱《いだ》きて、
「まあ、おきのどくだったねえ」
渠は慰むる語《ことば》なきがごとき面色《おももち》なりき。馭者は冷笑《あざわら》いて、
「なあに、高が馬方だ」
「けれどもさ、まことにおきのどくなことをしたねえ、いわば私のためだもの」
美人は愁然として腕を拱《こまぬ》きぬ。馭者はまじめに、
「その代わり煙管の掃除をしてもらった」
「あら、冗談じゃないよ、この人は。そうしておまえさんこれからどうするつもりなの?」
「どうといって、やっぱり食う算段さ。高岡に彷徨《ぶらつ》いていたって始まらんので、金沢には士官がいるから、馬丁《べっとう》の口でもあるだろうと思って、探《さが》しに出て来た。今日《きょう》も朝から一日|奔走《かけある》いたので、すっかり憊《くたび》れてしまって、晩方|一風呂《ひとっぷろ》入《はい》ったところが、暑くて寝られんから、ぶらぶら納涼《すずみ》に出掛けて
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