くとも、あの、絵看板を畳込《たたみこ》んで持っていて、汽車が隧道《トンネル》へ入った、真暗《まっくら》な煙の裡《うち》で、颯《さっ》と化猫が女を噛《か》む血だらけな緋《ひ》の袴《はかま》の、真赤《まっか》な色を投出《ほうりだ》しそうに考えられた。
 で、どこまで一所になるか、……稀有《けう》な、妙な事がはじまりそうで、危《あぶな》っかしい中《うち》にも、内々少からぬ期待を持たせられたのである。
 けれども、その男を、年配、風采《ふうさい》、あの三人の中の木戸番の一人だの、興行ぬしだの、手品師だの、祈祷者《きとうじゃ》、山伏だの、……何を間違えた処で、慌てて魔法つかいだの、占術家《うらないや》だの、また強盗、あるいは殺人犯で、革鞄の中へ輪切《わぎり》にした女を油紙に包んで詰込んでいようの、従って、探偵などと思ったのでは決してない。
 一目見ても知れる、その何省かの官吏である事は。――やがて、知己《ちかづき》になって知れたが、都合あって、飛騨《ひだ》の山の中の郵便局へ転任となって、その任に趣《おもむ》く途中だと云う。――それにいささか疑《うたがい》はない。
 が、持主でない。その革鞄である。

       三

 這奴《しゃつ》、窓硝子《まどがらす》の小春日《こはるび》の日向《ひなた》にしろじろと、光沢《つや》を漾《ただよ》わして、怪しく光って、ト構えた体《てい》が、何事をか企謀《たくら》んでいそうで、その企謀《たくらみ》の整うと同時に、驚破《すわ》事を、仕出来《しでか》しそうでならなかったのである。
 持主の旅客は、ただ黙々として、俯向《うつむ》いて、街樹《なみき》に染めた錦葉《もみじ》も見ず、時々、額を敲《たた》くかと思うと、両手で熟《じっ》と頸窪《ぼんのくぼ》を圧《おさ》える。やがて、中折帽《なかおれぼう》を取って、ごしゃごしゃと、やや伸びた頭髪《かみのけ》を引掻《ひっか》く。巻莨《まきたばこ》に点じて三分の一を吸うと、半《なかば》三分の一を瞑目《めいもく》して黙想して過して、はっと心着いたように、火先を斜《ななめ》に目の前へ、ト翳《かざ》しながら、熟《じっ》と灰になるまで凝視《みつ》めて、慌てて、ふッふッと吹落して、後《あと》を詰らなそうにポタリと棄《す》てる……すぐその額を敲く。続いて頸窪を両手で圧える。それを繰返すばかりであるから、これが企謀《たくら》んだ
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