ごとくかく謂いつつ、伯爵夫人は寝返りして、横に背《そむ》かんとしたりしが、病める身のままならで、歯を鳴らす音聞こえたり。
 ために顔の色の動かざる者は、ただあの医学士一人あるのみ。渠は先刻《さき》にいかにしけん、ひとたびその平生を失《しっ》せしが、いまやまた自若となりたり。
 侯爵は渋面造りて、
「貴船、こりゃなんでも姫《ひい》を連れて来て、見せることじゃの、なんぼでも児《こ》のかわいさには我《が》折れよう」
 伯爵は頷きて、
「これ、綾《あや》」
「は」と腰元は振り返る。
「何を、姫を連れて来い」
 夫人は堪《たま》らず遮《さえぎ》りて、
「綾、連れて来んでもいい。なぜ、眠らなけりゃ、療治はできないか」
 看護婦は窮したる微笑《えみ》を含みて、
「お胸を少し切りますので、お動きあそばしちゃあ、危険《けんのん》でございます」
「なに、わたしゃ、じっとしている。動きゃあしないから、切っておくれ」
 予はそのあまりの無邪気さに、覚えず森寒を禁じ得ざりき。おそらく今日《きょう》の切開術は、眼を開きてこれを見るものあらじとぞ思えるをや。
 看護婦はまた謂えり。
「それは夫人《おくさま》、いくら
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