を行く人の髪の黒き、簪《かざし》の白き、手絡《てがら》の緋《ひ》なる、帯の錦、袖《そで》の綾《あや》、薔薇《しょうび》の香《か》、伽羅《きゃら》の薫《かおり》の薫《くん》ずるなかに、この身体《からだ》一ツはさまれて、歩行《ある》くにあらず立停《たちどま》るといふにもあらで、押され押され市中《まちなか》をいきつくたびに一歩づつ式場近く進み候。横の町も、縦の町も、角も、辻も、山下も、坂の上も、隣の小路《こうじ》もただ人のけはひの轟々《ごうごう》とばかり遠波の寄するかと、ひツそりしたるなかに、あるひは高く、あるひは低く、遠くなり、近くなりて、耳底《じてい》に響き候のみ。裾《すそ》の埃《ほこり》、歩《あゆみ》の砂に、両側の二階家の欄干《らんかん》に、果しなくひろげかけたる紅の毛氈《もうせん》も白くなりて、仰げば打重《うちかさ》なる見物の男女《なんにょ》が顔も朧《おぼろ》げなる、中空にはむらむらと何にか候らむ、陽炎《かげろう》の如きもの立ち迷ひ候。
 万丈の塵《ちり》の中に人の家の屋根より高き処々、中空に斑々《はんはん》として目覚《めざま》しき牡丹《ぼたん》の花の翻《ひるがえ》りて見え候。こは大なる母衣《ほろ》の上に書いたるにて、片端には彫刻したる獅子《しし》の頭《かしら》を縫《ぬ》ひつけ、片端には糸を束《つか》ねてふつさりと揃へたるを結び着け候。この尾と、その頭と、及び件《くだん》の牡丹の花描いたる母衣とを以て一頭の獅子にあひなり候。胴中には青竹を破《わ》りて曲げて環にしたるを幾処《いくところ》にか入れて、竹の両はしには屈竟《くっきょう》の壮佼《わかもの》ゐて、支へて、膨《ふく》らかに幌《ほろ》をあげをり候。頭《かしら》に一人の手して、力|逞《たく》ましきが猪首《いくび》にかかげ持ちて、朱盆の如き口を張り、またふさぎなどして威を示し候|都度《つど》、仕掛を以てカツカツと金色《こんじき》の牙《きば》の鳴るが聞え候。尾のつけもとは、ここにも竹の棹《さお》つけて支へながら、人の軒より高く突上げ、鷹揚《おうよう》に右左に振り動かし申候。何貫目やらむ尾にせる糸をば、真紅の色に染《そ》めたれば、紅の細き滝支ふる雲なき中空より逆《さかさ》におちて風に揺《ゆ》らるる趣《おもむき》見え、要するに空間に描きたる獣王の、花々しき牡丹の花衣《はなぎぬ》着けながら躍《おど》り狂ふにことならず、目覚し
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