《さっ》と吹起るにさえ、そよりとも動かなかったのは不思議であろう。
啾々《しゅうしゅう》と近づき、啾々と進んで、杖をバタリと置いた。濡鼠の袂《たもと》を敷いて、階《きざはし》の下に両膝《もろひざ》をついた。
目ばかり光って、碧額《へきがく》の金字《こんじ》を仰いだと思うと、拍手《かしわで》のかわりに、――片手は利かない――痩《や》せた胸を三度打った。
「願いまっしゅ。……お晩でしゅ。」
と、きゃきゃと透《とお》る、しかし、あわれな声して、地に頭《こうべ》を摺《す》りつけた。
「願いまっしゅ、お願い。お願い――」
正面の額の蔭に、白い蝶が一羽、夕顔が開くように、ほんのりと顕《あら》われると、ひらりと舞下《まいさが》り、小男の頭の上をすっと飛んだ。――この蝶が、境内を切って、ひらひらと、石段口の常夜燈にひたりと附くと、羽に点《とも》れたように灯影が映る時、八十年《やそとし》にも近かろう、皺《しわ》びた翁《おきな》の、彫刻また絵画の面より、頬のやや円いのが、萎々《なえなえ》とした禰宜《ねぎ》いでたちで、蚊脛《かずね》を絞り、鹿革の古ぼけた大きな燧打袋《ひうちぶくろ》を腰に提げ、燈心
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