っと、蹴出す白脛《しらはぎ》へ搦《から》ましょう。」この時の白髪は動いた。

「爺《じじ》い。」
「はあ。」と烏帽子が伏《ふさ》る。

 姫は床几《しょうぎ》に端然と、
「男が、口のなかで拍子を取るが……」
 翁は耳を傾け、皺手《しわで》を当てて聞いた。
「拍子ではござりませぬ、ぶつぶつと唄のようで。」
「さすが、商売人《くろうと》。――あれに笛は吹くまいよ、何と唄うえ。」
「分りましたわ。」と、森で受けた。

「……諏訪《すわ》――の海――水底《みなそこ》、照らす、小玉石――手には取れども袖は濡《ぬら》さじ……おーもーしーろーお神楽《かぐら》らしいんでございますの。お、も、しーろし、かしらも、白し、富士の山、麓《ふもと》の霞――峰の白雪。」
「それでは、お富士様、お諏訪様がた、お目かけられものかも知れない――お待ち……あれ、気の疾《はや》い。」
 紫の袖が解けると、扇子《おうぎ》が、柳の膝に、丁《ちょう》と当った。
 びくりとして、三つ、ひらめく舌を縮めた。風のごとく駆下りた、ほとんど魚の死骸《しがい》の鰭《ひれ》のあたりから、ずるずると石段を這返《はいかえ》して、揃って、姫を空に仰いだ、一所《ひとところ》の鎌首は、如意《にょい》に似て、ずるずると尾が長い。

 二階のその角座敷では、三人、顔を見合わせて、ただ呆《あき》れ果ててぞいたりける風情がある。
 これは、さもありそうな事で、一座の立女形《たておやま》たるべき娘さえ、十五十六ではない、二十《はたち》を三つ四つも越しているのに。――円髷は四十|近《ぢか》で、笛吹きのごときは五十にとどく、というのが、手を揃え、足を挙げ、腰を振って、大道で踊ったのであるから。――もっと深入した事は、見たまえ、ほっとした草臥《くたび》れた態《なり》で、真中《まんなか》に三方から取巻いた食卓《ちゃぶだい》の上には、茶道具の左右に、真新しい、擂粉木《すりこぎ》、および杓子《しゃくし》となんいう、世の宝貝《たからもの》の中に、最も興がった剽軽《ひょうきん》ものが揃って乗っていて、これに目鼻のつかないのが可訝《おかし》いくらい。ついでに婦《おんな》二人の顔が杓子と擂粉木にならないのが不思議なほど、変な外出《そとで》の夜であった。
「どうしたっていうんでしょう。」
 と、娘が擂粉木の沈黙を破って、
「誰か、見ていやしなかったかしら、可厭《いや》だ、私。」
 と頤《おとがい》を削ったようにいうと、年増は杓子で俯向《うつむ》いて、寂しそうに、それでも、目もとには、まだ笑《わらい》の隈《くま》が残って消えずに、
「誰が見るものかね。踊りよか、町で買った、擂粉木とこの杓《しゃ》もじをさ、お前さんと私とで、持って歩行《ある》いた方がよっぽどおかしい。」
「だって、おばさん――どこかの山の神様のお祭に踊る時には、まじめな道具だって、おじさんが言うんじゃないの。……御幣《ごへい》とおんなじ事だって。……だから私――まじめに町の中を持ったんだけれど、考えると――変だわね。」
「いや、まじめだよ。この擂粉木と杓子《しゃもじ》の恩を忘れてどうする。おかめひょっとこのように滑稽《おどけ》もの扱いにするのは不届き千万さ。」
 さて、笛吹――は、これも町で買った楊弓《ようきゅう》仕立の竹に、雀が針がねを伝《つたわ》って、嘴《くちばし》の鈴を、チン、カラカラカラカラカラ、チン、カラカラと飛ぶ玩弄品《おもちゃ》を、膝について、鼻の下の伸びた顔でいる。……いや、愚に返った事は――もし踊があれなりに続いて、下り坂を発奮《はず》むと、町の真中《まんなか》へ舞出して、漁師町の棟を飛んで、海へころげて落ちたろう。
 馬鹿気ただけで、狂人《きちがい》ではないから、生命《いのち》に別条はなく鎮静した。――ところで、とぼけきった興は尽きず、神巫《みこ》の鈴から思いついて、古びた玩弄品屋の店で、ありあわせたこの雀を買ったのがはじまりで、笛吹はかつて、麻布辺の大資産家で、郷土民俗の趣味と、研究と、地鎮祭をかねて、飛騨《ひだ》、三河、信濃《しなの》の国々の谷谷谷深く相|交叉《こうさ》する、山また山の僻村《へきそん》から招いた、山民一行の祭に参じた。桜、菖蒲《あやめ》、山の雉子《きじ》の花踊。赤鬼、青鬼、白鬼の、面も三尺に余るのが、斧鉞《おのまさかり》の曲舞する。浄《きよ》め砂置いた広庭の檀場には、幣《ぬさ》をひきゆい、注連《しめ》かけわたし、来《きた》ります神の道は、(千道《ちみち》、百綱《ももづな》、道七つ。)とも言えば、(綾《あや》を織り、錦《にしき》を敷きて招じる。)と謡うほどだから、奥山人が、代々に伝えた紙細工に、巧《わざ》を凝らして、千道百綱を虹《にじ》のように。飾《かざり》の鳥には、雉子、山鶏《やまどり》、秋草、もみじを切出したのを、三重《
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