どどど!だしぬけに、あの三人の座敷へ投込んで頂きたいでしゅ。気絶しようが、のめろうが、鼻かけ、歯《はッ》かけ、大《おおき》な賽《さい》の目の出次第が、本望でしゅ。」
「ほ、ほ、大魚を降らし、賽に投げるか。おもしろかろ。忰《せがれ》、思いつきは至極じゃが、折から当お社もお人ずくなじゃ。あの魚は、かさも、重さも、破れた釣鐘ほどあって、のう、手頃には参らぬ。」
 と云った。神に使うる翁の、この譬喩《たとえ》の言《ことば》を聞かれよ。筆者は、大石投魚を顕《あら》わすのに苦心した。が、こんな適切な形容は、凡慮には及ばなかった。
 お天守の杉から、再び女の声で……
「そんな重いもの持運ぶまでもありませんわ。ぽう、ぽっぽ――あの三人は町へ遊びに出掛ける処なんです。少しばかり誘《さそい》をかけますとね、ぽう、ぽっぽ――お社|近《ぢか》まで参りましょう。石段下へ引寄せておいて、石投魚の亡者を飛上らせるだけでも用はたりましょうと存じますのよ。ぽう、ぽっぽ――あれ、ね、娘は髪のもつれを撫《なで》つけております、頸《えり》の白うございますこと。次の室《ま》の姿見へ、年増が代って坐りました。――感心、娘が、こん度は円髷《まるまげ》、――あの手がらの水色は涼しい。ぽう、ぽっぽ――髷の鬢《びん》を撫でつけますよ。女同士のああした処は、しおらしいものですわね。酷《ひど》いめに逢うのも知らないで。……ぽう、ぽっぽ――可哀相ですけど。……もう縁側へ出ましたよ。男が先に、気取って洋杖《ステッキ》なんかもって――あれでしょう。三郎さんを突いたのは――帰途《かえり》は杖にして縋《すが》ろうと思って、ぽう、ぽっぽ。……いま、すぐ、玄関へ出ますわ、ごらんなさいまし。」
 真暗《まっくら》な杉に籠《こも》って、長い耳の左右に動くのを、黒髪で捌《さば》いた、女顔の木菟《みみずく》の、紅《あか》い嘴《くちばし》で笑うのが、見えるようで凄《すさま》じい。その顔が月に化けたのではない。ごらんなさいましという、言葉が道をつけて、隧道《トンネル》を覗《のぞ》かす状《さま》に、遥《はるか》にその真正面へ、ぱっと電燈の光のやや薄赤い、桂井館の大式台が顕《あらわ》れた。
 向う歯の金歯が光って、印半纏《しるしばんてん》の番頭が、沓脱《くつぬぎ》の傍《そば》にたって、長靴を磨いているのが見える。いや、磨いているのではない。それに、客のではない。捻《ひね》り廻して鬱《ふさ》いだ顔色《がんしょく》は、愍然《ふびん》や、河童のぬめりで腐って、ポカンと穴があいたらしい。まだ宵だというに、番頭のそうした処は、旅館の閑散をも表示する……背後《うしろ》に雑木山を控えた、鍵の手|形《なり》の総二階に、あかりの点《つ》いたのは、三人の客が、出掛けに障子を閉めた、その角座敷ばかりである。
 下廊下を、元気よく玄関へ出ると、女連の手は早い、二人で歩行板《あゆみいた》を衝《つ》と渡って、自分たちで下駄を揃えたから、番頭は吃驚《びっくり》して、長靴を掴《つか》んだなりで、金歯を剥出《むきだ》しに、世辞笑いで、お叩頭《じぎ》をした。
 女中が二人出て送る。その玄関の燈《ともしび》を背に、芝草と、植込の小松の中の敷石を、三人が道なりに少し畝《うね》って伝《つたわ》って、石造《いしづくり》の門にかかげた、石ぼやの門燈に、影を黒く、段を降りて砂道へ出た。が、すぐ町から小半町|引込《ひっこ》んだ坂で、一方は畑になり、一方は宿の囲《かこい》の石垣が長く続くばかりで、人通りもなく、そうして仄暗《ほのくら》い。
 ト、町へたらたら下りの坂道を、つかつかと……わずかに白い門燈を離れたと思うと、どう並んだか、三人の右の片手三本が、ひょいと空へ、揃って、踊り構えの、さす手に上った。同時である。おなじように腰を捻った。下駄が浮くと、引く手が合って、おなじく三本の手が左へ、さっと流れたのがはじまりで、一列なのが、廻って、くるくると巴《ともえ》に附着《くッつ》いて、開いて、くるりと輪に踊る。花やかな娘の笑声が、夜の底に響いて、また、くるりと廻って、手が流れて、褄《つま》が飜《かえ》る。足腰が、水馬《みずすまし》の刎《は》ねるように、ツイツイツイと刎ねるように坂くだりに行《ゆ》く。……いや、それがまた早い。娘の帯の、銀の露の秋草に、円髷の帯の、浅葱《あさぎ》に染めた色絵の蛍が、飛交《とびか》って、茄子畑《なすばたけ》へ綺麗にうつり、すいと消え、ぱっと咲いた。

「酔っとるでしゅ、あの笛吹。女どもも二三杯。」と河童が舌打して言った。
「よい、よい、遠くなり、近くなり、あの破鐘《われがね》を持扱う雑作に及ばぬ。お山の草叢《くさむら》から、黄腹、赤背の山鱗《やまうろこ》どもを、綯交《なえま》ぜに、三筋の処を走らせ、あの踊りの足許へ、茄子畑から、にょっにょ
前へ 次へ
全11ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング