も、かとも、翁様。」
「ちと聞苦しゅう覚えるぞ。」
「口に出して言わぬばかり、人間も、赤沼の三郎もかわりはないでしゅ。翁様――処ででしゅ、この吸盤《すいつき》用意の水掻《みずかき》で、お尻を密《そっ》と撫《な》でようものと……」
「ああ、約束は免れぬ。和郎たちは、一族一門、代々それがために皆怪我をするのじゃよ。」
「違うでしゅ、それでした怪我ならば、自業自得で怨恨《うらみ》はないでしゅ。……蛙手に、底を泳ぎ寄って、口をぱくりと、」
「その口でか、その口じゃの。」
「ヒ、ヒ、ヒ、空ざまに、波の上の女郎花《おみなえし》、桔梗《ききょう》の帯を見ますと、や、背負守《しょいまもり》の扉を透いて、道中、道すがら参詣《さんけい》した、中山の法華経寺か、かねて御守護の雑司《ぞうし》ヶ|谷《や》か、真紅《まっか》な柘榴《ざくろ》が輝いて燃えて、鬼子母神《きしもじん》の御影《みえい》が見えたでしゅで、蛸遁《たこに》げで、岩を吸い、吸い、色を変じて磯へ上った。
 沖がやがて曇ったでしゅ。あら、気味の悪い、浪がかかったかしら。……別嬪《べっぴん》の娘の畜生め、などとぬかすでしゅ。……白足袋をつまんで。――
 磯浜へ上って来て、巌《いわ》の根松の日蔭に集《あつま》り、ビイル、煎餅《せんべい》の飲食《のみくい》するのは、羨《うらやま》しくも何ともないでしゅ。娘の白い頤《あご》の少しばかり動くのを、甘味《うま》そうに、屏風巌《びょうぶいわ》に附着《くッつ》いて見ているうちに、運転手の奴が、その巌の端へ来て立って、沖を眺めて、腰に手をつけ、気取って反《そ》るでしゅ。見つけられまい、と背後《うしろ》をすり抜ける出合がしら、錠の浜というほど狭い砂浜、娘等四人が揃って立つでしゅから、ひょいと岨路《そばみち》へ飛ぼうとする処を、
 ――まて、まて、まて――
 と娘の声でしゅ。見惚《みと》れて顱《さら》が顕《あら》われたか、罷了《しまい》と、慌てて足許《あしもと》の穴へ隠れたでしゅわ。
 間の悪さは、馬蛤貝《まてがい》のちょうど隠家《かくれが》。――塩を入れると飛上るんですってねと、娘の目が、穴の上へ、ふたになって、熟《じっ》と覗《のぞ》く。河童だい、あかんべい、とやった処が、でしゅ……覗いた瞳の美しさ、その麗《うららか》さは、月宮殿の池ほどござり、睫《まつげ》が柳の小波《さざなみ》に、岸を縫って、靡《なび》くでしゅが。――ただ一雫《ひとしずく》の露となって、逆《さかさ》に落ちて吸わりょうと、蕩然《とろり》とすると、痛い、疼《いた》い、痛い、疼いッ。肩のつけもとを棒切《ぼうぎれ》で、砂越しに突挫《つきくじ》いた。」
「その怪我じゃ。」
「神職様。――塩で釣出せぬ馬蛤《まて》のかわりに、太い洋杖《ステッキ》でかッぽじった、杖は夏帽の奴の持ものでしゅが、下手人は旅籠屋の番頭め、這奴《しゃつ》、女ばらへ、お歯向きに、金歯を見せて不埒《ふらち》を働く。」
「ほ、ほ、そか、そか。――かわいや忰《せがれ》、忰が怨《うらみ》は番頭じゃ。」
「違うでしゅ、翁様。――思わず、きゅうと息を引き、馬蛤の穴を刎飛《はねと》んで、田打蟹《たうちがに》が、ぼろぼろ打つでしゅ、泡ほどの砂の沫《あわ》を被《かぶ》って転がって遁《に》げる時、口惜《くや》しさに、奴の穿《は》いた、奢《おご》った長靴、丹精に磨いた自慢の向脛《むこうずね》へ、この唾《つば》をかッと吐掛けたれば、この一呪詛《ひとのろい》によって、あの、ご秘蔵の長靴は、穴が明いて腐るでしゅから、奴に取っては、リョウマチを煩らうより、きとこたえる。仕返しは沢山でしゅ。――怨《うらみ》の的は、神職様――娘ども、夏帽子、その女房の三人でしゅが。」
「一通りは聞いた、ほ、そか、そか。……無理も道理も、老《おい》の一存にはならぬ事じゃ。いずれはお姫様に申上ぎょうが、こなた道理には外れたようじゃ、無理でのうもなかりそうに思われる、そのしかえし。お聞済みになろうか。むずかしいの。」
「御鎮守の姫様、おきき済みになりませぬと、目の前の仇《かたき》を視《み》ながら仕返しが出来んのでしゅ、出来んのでしゅが、わア、」
 とたちまち声を上げて泣いたが、河童はすぐに泣くものか、知らず、駄々子《だだっこ》がものねだりする状《さま》であった。
「忰、忰……まだ早い……泣くな。」
 と翁は、白く笑った。
「大慈大悲は仏菩薩《ぶつぼさつ》にこそおわすれ、この年老いた気の弱りに、毎度御意見は申すなれども、姫神、任侠《にんきょう》の御気風ましまし、ともあれ、先んじて、お袖に縋《すが》ったものの願い事を、お聞届けの模様がある。一たび取次いでおましょうぞ――えいとな。……
 や、や、や、横扉から、はや、お縁へ。……これは、また、お軽々しい。」
 廻廊の縁の角あたり、雲低き柳の帳《と
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