看板にも(目あり)とかいて、煎餅《せんべい》を焼いて売りもした。「目あり煎餅」勝負事をするものの禁厭《まじない》になると、一時弘まったものである。――その目をしょぼしょぼさして、長い顔をその炬燵に据えて、いとせめて親を思出す。千束の寮のやみの夜《よ》、おぼろの夜《よ》、そぼそぼとふる小雨の夜、狐の声もしみじみと可懐《なつかし》い折から、「伊作、伊作」と女の音《ね》で、扉《とぼそ》で呼ぶ。
「婆さんや、人が来た。」「うう、お爺さん」内職の、楊枝《ようじ》を辻占《つじうら》で巻いていた古女房が、怯《おび》えた顔で――「話に聞いた魔ものではないかのう。」とおっかな吃驚《びっくり》で扉《と》を開けると、やあ、化けて来た。いきなり、けらけらと笑ったのは大柄な女の、くずれた円髷《まるまげ》の大年増、尻尾《しっぽ》と下腹は何を巻いてかくしたか、縞小紋《しまこもん》の糸が透いて、膝へ紅裏《こううら》のにじんだ小袖を、ほとんど素膚に着たのが、馬ふんの燃える夜の陽炎《かげろう》、ふかふかと湯気の立つ、雁《がん》もどきと、蒟蒻《こんにゃく》の煮込のおでんの皿盛を白く吐く息とともに、ふうと吹き、四合壜《しごう
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