って、大蘇芳年《たいそよしとし》の筆の冴《さえ》を見よ、描く処の錦絵《にしきえ》のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであった。が、仏法僧のなく音《ね》覚束《おぼつか》なし、誰に助けらるるともなく、生命《いのち》生きて、浮世のうらを、古河銅山の書記《かきやく》になって、二年ばかり、子まで出来たが、気の毒にも、山小屋、飯場のパパは、煩ってなくなった。
 お妻は石炭|屑《くず》で黒くなり、枝炭のごとく、煤《すす》けた姑獲鳥《うぶめ》のありさまで、おはぐろ溝《どぶ》の暗夜《やみ》に立ち、刎橋《はねばし》をしょんぼりと、嬰児《あかんぼ》を抱いて小浜屋へ立帰る。……と、場所がよくない、そこらの口の悪いのが、日光がえりを、美術の淵源地《えんげんち》、荘厳の廚子《ずし》から影向《ようごう》した、女菩薩《にょぼさつ》とは心得ず、ただ雷の本場と心得、ごろごろさん、ごろさんと、以来かのおんなを渾名《あだな》した。――嬰児が、二つ三つ、片口をきくようになると、可哀相《かわいそう》に、いつどこで覚えたか、ママを呼んで、ごよごよちゃん、ごよちゃま。

 ○日月星昼夜織分《じつげつせいちゅうやのおりわけ》――
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