…ああ、悪戯《いたずら》をするよ。」
と言った。小母さんは、そのおばけを、魔を、鬼を、――ああ、悪戯をするよ、と独言《ひとりごと》して、その時はじめて真顔になった。
私は今でも現《うつつ》ながら不思議に思う。昼は見えない。逢魔《おうま》が時からは朧《おぼろ》にもあらずして解《わか》る。が、夜の裏木戸は小児心《こどもごころ》にも遠慮される。……かし本の紙ばかり、三日五日続けて見て立つと、その美しいお嬢さんが、他所《よそ》から帰ったらしく、背《せな》へ来て、手をとって、荒れた寂しい庭を誘って、その祠《ほこら》の扉を開けて、燈明の影に、絵で知った鎧《よろい》びつのような一具の中から、一冊の草双紙を。……
「――絵解《えとき》をしてあげますか……(註。草双紙を、幼いものに見せて、母また姉などの、話して聞かせるのを絵解と言った。)――読めますか、仮名ばかり。」
「はい、読めます。」
「いい、お児《こ》ね。」
きつね格子に、その半身、やがて、※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》たけた顔が覗《のぞ》いて、見送って消えた。
その草双紙である。一冊は、夢中で我が家の、階子段《はしごだん》を、父に見せまいと、駆上る時に、――帰ったかと、声がかかって、ハッと思う、……懐中《ふところ》に、どうしたか失《う》せて見えなくなった。ただ、内へ帰るのを待兼ねて、大通りの露店の灯影《ともしび》に、歩行《ある》きながら、ちらちらと見た、絵と、かながきの処は、――ここで小母さんの話した、――後のでない、前の巳巳巳の話であった。
私は今でも、不思議に思う。そして面影も、姿も、川も、たそがれに油を敷いたように目に映る。……
大正…年…月の中旬、大雨《たいう》の日の午《うま》の時頃から、その大川に洪水した。――水が軟《やわらか》に綺麗で、流《ながれ》が優しく、瀬も荒れないというので、――昔の人の心であろう――名の上へ女をつけて呼んだ川には、不思議である。
明治七年七月七日、大雨の降続いたその七日七晩めに、町のもう一つの大河が可恐《おそろし》い洪水した。七の数が累《かさ》なって、人死《ひとじに》も夥多《おびただ》しかった。伝説じみるが事実である。が、その時さえこの川は、常夏《とこなつ》の花に紅《べに》の口を漱《そそ》がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―
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