げ]
なれども、僧都が身は、こうした墨染の暗夜《やみ》こそ可《よ》けれ、なまじ緋の法衣《ころも》など絡《まと》おうなら、ずぶ濡《ぬれ》の提灯《ちょうちん》じゃ、戸惑《とまどい》をした※[#「魚+覃」、第3水準1−94−50]《えい》の魚《うお》じゃなどと申そう。圧《おし》も石も利く事ではない。(細く丈長き鉄《くろがね》の錨《いかり》を倒《さかしま》にして携えたる杖《つえ》を、軽《かろ》く突直す。)
いや、また忘れてはならぬ。忘れぬ前《さき》に申上げたい儀で罷出《まかりで》た。若様へお取次を頼みましょ。
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侍女一 畏《かしこま》りました。唯今《ただいま》。……あの、ちょうど可《い》い折に存じます。
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右の方《かた》闥《ドア》を排して行《ゆ》く。
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僧都 (謹みたる体《てい》にて室内を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す。)
 はあ、争われぬ。法衣《ころも》の袖に春がそよぐ。
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(錨の杖を抱《いだ》きて彳《たたず》む。)
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公子 (衝《つ》と押す、闥《ドア》を排《ひら》きて、性急に登場す。面《おも》玉のごとく※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《ろう》丈《た》けたり。黒髪を背に捌《さば》く。青地錦の直垂《ひたたれ》、黄金《こがね》づくりの剣《つるぎ》を佩《は》く。上段、一階高き床の端に、端然として立つ。)
 爺《じ》い、見えたか。
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侍女五人、以前の一人を真先《まっさき》に、すらすらと従い出づ。いずれも洋装。第五の侍女、年最も少《わか》し。二人は床の上、公子《こうし》の背後《うしろ》に。二人は床を下りて僧都の前に。第一の侍女はその背《うしろ》に立つ。
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僧都 は。(大床《おおゆか》に跪《ひざまず》く。控えたる侍女一、件《くだん》の錨の杖を預る)これはこれは、御休息の処を恐入りましてござります。
公子 (親しげに)爺い、用か。
僧都 紺青《こんじょう》、群青《ぐんじょう》、白群《びゃくぐん》、朱、碧《へき》の御蔵の中より、この度の儀に就きまして、先方へお遣わしになりました、品々の類《たぐい》と、数々を、念のために申上げとうござりまして。
公子 (立ちたるまま)おお、あの女の父親に遣《や》った、陸で結納《ゆいのう》とか云うものの事か。
僧都 はあ、いや、御聡明なる若様。若様にはお覚違《おぼえちが》いでござります。彼等|夥間《なかま》に結納と申すは、親々が縁を結び、媒妁人《なこうど》の手をもち、婚約の祝儀、目録を贈りますでござります。しかるにこの度は、先方の父親が、若様の御支配遊ばす、わたつみの財宝に望《のぞみ》を掛け、もしこの念願の届くにおいては、眉目容色《みめきりょう》、世に類《たぐい》なき一人の娘を、海底へ捧げ奉る段、しかと誓いました。すなわち、彼が望みの宝をお遣《つかわ》しになりましたに因って、是非に及ばず、誓言《せいごん》の通り、娘を波に沈めましたのでござります。されば、お送り遊ばされた数の宝は、彼等が結納と申そうより、俗に女の身代《みのしろ》と云うものにござりますので。
公子 (軽く頷《うなず》く)可《よし》、何にしろすこしばかりの事を、別に知らせるには及ばんのに。
僧都 いやいや、鱗《うろこ》一枚、一草《ひとくさ》の空貝《うつせがい》とは申せ、僧都が承りました上は、活達なる若様、かような事はお気煩《きむず》かしゅうおいでなさりましょうなれども、老《おい》のしょうがに、お耳に入れねばなりませぬ。お腰元衆もお執成《とりなし》。(五人の侍女に目遣《めづかい》す)平《ひら》にお聞取りを願わしゅう。
侍女三 若様、お座へ。
公子 (顧みて)椅子《いす》をこちらへ。
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侍女三、四、両人して白き枝珊瑚《えださんご》の椅子を捧げ、床の端近《はしぢか》に据う。大|隋円形《だえんけい》の白き琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》の、沈みたる光沢を帯べる卓子《テエブル》、上段の中央にあり。枝のままなる見事なる珊瑚の椅子、紅白二脚、紅《あか》きは花のごとく、白きは霞のごときを、相対して置く。侍女等が捧出《ささげい》でて位置を変えて据えたるは、その白き方《かた》一脚なり。
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僧都 真鯛《まだい》大小八千枚。鰤《ぶり》、鮪《まぐろ》、ともに二万|疋《びき》。鰹《
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