刑罰になるのですか。陸と海と、国が違い、人情が違っても、まさか、そんな刑罰はあるまいと想う。僧都は、うろ覚えながら確《たしか》に記憶に残ると言われる。……貴下《あなた》をお呼立した次第です。ちょっとお験《しら》べを願いましょうか。
博士 仰聞《おおせき》けの記憶は私《わたくし》にもありますで。しかし、念のために験べまするで。ええ、陸上一切の刑法の記録でありましょうか、それとも。
公子 面倒です、あとはどうでも可《い》い。ただ女子《おなご》を馬に乗せ、槍を立てて引廻したという、そんな事があったかという、それだけです。
博士 正史でなく、小説、浄瑠璃《じょうるり》の中を見ましょうで。時の人情と風俗とは、史書よりもむしろこの方が適当でありますので。(金光|燦爛《さんらん》たる洋綴《ようとじ》の書を展《ひら》く。)
公子 (卓子《テエブル》に腰を掛く)たいそう気の利いた書物ですね。
博士 これは、仏国の大帝|奈翁《ナポレオン》が、西暦千八百八年、西班牙《スペイン》遠征の途に上りました時、かねて世界有数の読書家。必要によって当時の図書館長バルビールに命じて製《つく》らせました、函入《はこいり》新装の、一千巻、一架《ひとたな》の内容は、宗教四十巻、叙事詩四十巻、戯曲四十巻、その他の詩篇六十巻。歴史六十巻、小説百巻、と申しまするデュオデシモ形《がた》と申す有名な版本の事を……お聞及びなさいまして、御姉君《おあねぎみ》、乙姫様が御工夫を遊ばしました。蓮《はす》の糸、一筋を、およそ枚数千頁に薄く織拡げて、一万枚が一折《ひとおり》、一百二十折を合せて一冊に綴《と》じましたものでありまして、この国の微妙なる光に展《ひら》きますると、森羅万象《しんらばんしょう》、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々《ひとつ》ずつ微細なる活字となって、しかも、各々《おのおの》五色の輝《かがやき》を放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読《くとう》、いずれも個々別々、七彩に照って、かく開きました真白《まっしろ》な枚《ペエジ》の上へ、自然と、染め出さるるのでありまして。
公子 姉上《あねうえ》が、それを。――さぞ、御秘蔵のものでしょう。
博士 御秘蔵ながら、若様の御書物蔵へも、整然《ちゃん》と姫様がお備えつけでありますので。
公子 では、私の所有ですか。
博士 若様はこの冊子と同じものを、瑪瑙《めのう》に青貝の蒔絵《まきえ》の書棚、五百|架《たな》、御所有でいらせられまする次第であります。
公子 姉があって幸福《しあわせ》です。どれ、(取って披《ひら》く)これは……ただ白紙だね。
博士 は、恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然のその色彩ある活字は、ペエジの上には写り兼ねるのでございます。
公子 恥入るね。
博士 いやいや、若様は御勇武でいらせられます。入道鰐《にゅうどうわに》、黒鮫《くろざめ》の襲いまする節は、御訓練の黒潮、赤潮騎士、御手の剣《つるぎ》でのうては御退けになりまする次第には参らぬのでありまして。けれども、姉姫様の御心づくし、節々は御閲読《ごえつどく》の儀をお勧め申まするので。
僧都 もろともに、お勧め申上げますでござります。
公子 (頷《うなず》く)まあ、今の引廻しの事を見て下さい。
博士 確《たしか》に。(書を披く)手近に浄瑠璃にありました。ああ、これにあります。……若様、これは大日本|浪華《なにわ》の町人、大経師以春《だいきょうじいしゅん》の年若き女房、名だたる美女のおさん。手代《てだい》茂右衛門《もえもん》と不義|顕《あらわ》れ、すなわち引廻し礫《はりつけ》になりまする処を、記したのでありまして。
公子 お読み。
博士 (朗読す)――紅蓮《ぐれん》の井戸堀、焦熱《しょうねつ》の、地獄のかま塗《ぬり》よしなやと、急がぬ道をいつのまに、越ゆる我身の死出の山、死出の田長《たおさ》の田がりよし、野辺《のべ》より先を見渡せば、過ぎし冬至《とうじ》の冬枯の、木《こ》の間《ま》木の間にちらちらと、ぬき身の槍《やり》の恐しや、――
公子 (姿見を覗《のぞ》きつつ、且つ聴きつつ)ああ、いくらか似ている。
博士 ――また冷返《ひえかえ》る夕嵐、雪の松原、この世から、かかる苦患《くげん》におう亡日《もうにち》、島田乱れてはらはらはら、顔にはいつもはんげしょう、縛られし手の冷たさは、我身一つの寒の入《いり》、涙ぞ指の爪とりよし、袖に氷を結びけり。……
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侍女等、傾聴す。
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公子 ただ、いい姿です、美しい形です。世間はそれでその女の罪を責めたと思うのだろうか。
博士 まず、ト見えまするので。
僧都 さようでございます。
公子 馬に騎《の》った女は、殺されて
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