うわさ》、お縫は見たままを手に取るよう。
これこれこう、こういう浴衣と葛籠の底から取出すと、まあ姉さんと進むる膝、灯《あかり》とともに乗出す膝を、突合した上へ乗せ合って、その時はこういう風、仏におなりの前だから、優しいばかりか、目許《めもと》口付、品があって気高うてと、お縫が謂えば、ちらちらと、白菊の花、香の煙。
話が嵩《こう》じて理に落ちて、身に沁《し》みて涙になると、お縫はさすがに心着いて、鮨《すし》を驕《おご》りましょうといって戸外《おもて》へ出たのが、葦《あし》の湯の騒ぎをつい見棄てかねて取合って、時をうつしていた間《ま》に、過世《すぐせ》の深い縁であろう、浅緑の薫のなお失《う》せやらぬ橘之助の浴衣を身につけて、跣足《はだし》で、亡き人のあとを追った。
菊枝は屏風の中から、ぬれ浴衣を見てうっとりしている。
七兵衛はさりとも知らず、
「どうじゃ〆《し》めるものはこの扱帯《しごき》が可《い》いかの。」
じっと凝視《みつ》めたまま、
だんまりなり。
「ぐるぐる巻《まき》にすると可い、どうだ。」
「はい取って下さいまし、」とやっといったが、世馴《よな》れず、両親《ふたおや》には甘やかされたり、大恩人に対し遠慮の無さ。
七兵衛はそれを莞爾《にこ》やかに、
「そら、こいつあ単衣《ひとえ》だ、もう雫《しずく》の垂るようなことはねえ。」
やがて、つくづくと見て苦笑い、
「ほほう生れかわって娑婆《しゃば》へ出たから、争われねえ、島田の姉さんがむつぎにくるまった形《なり》になった、はははは、縫上げをするように腕をこうぐいと遣《や》らかすだ、そう、そうだ、そこで坐った、と、何ともないか。」
「ここが痛うございますよ。」と両手を組違えに二の腕をおさえて、頭《つむり》が重そうに差俯向《さしうつむ》く。
「むむ、そうかも知れねえ、昨夜《ゆうべ》そうやってしっかり胸を抱いて死んでたもの。ちょうど痛むのは手の下になってた処よ。」
「そうでございますか、あの私はこうやって一生懸命に死にましたわ。」
「この女《こ》は! 一生懸命に身を投げる奴《やつ》があるものか、串戯《じょうだん》じゃあねえ、そして、どんな心持だった。」
「あの沈みますと、ぼんやりして、すっと浮いたんですわ、その時にこうやって少し足を縮めましたっけ、また沈みました、それからは知りませんよ。」
「やれやれ苦しかったろう。」
「いいえ、泣きとうございました。」
記念ながら
十四
二ツ三ツ話の口が開《あ》けると老功の七兵衛ちっとも透《すか》さず、
「何しろ娑婆《しゃば》へ帰ってまず目出度《めでたい》、そこで嬰児《あかんぼ》は名は何と謂《い》う、お花か、お梅か、それとも。」
「ええ、」といいかけて菊枝は急に黙ってしまった。
様子を見て、七兵衛は気を替えて、
「可《い》いや、まあそんなことは。ところで、粥《かゆ》が出来たが一杯どうじゃ、またぐっと力が着くぜ。」
「何にも喰べられやしませんわ。」と膠《にべ》の無い返事をして、菊枝は何か思出してまた潸然《さめざめ》とするのである。
「それも可いよ。はは、何か謂われると気に障って煩《うるさ》いな? 可いや、可いやお前になってみりゃ、盆も正月も一斉《いちどき》じゃ、無理はねえ。
それでは御免|蒙《こうむ》って、私《わし》は一膳《いちぜん》遣附《やッつ》けるぜ。鍋《なべ》の底はじりじりいう、昨夜《ゆうべ》から気を揉《も》んで酒の虫は揉殺したが、矢鱈《やたら》無性《むしょう》に腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行《ある》いたり、果《はて》は胡坐《あぐら》かいて能代《のしろ》の膳の低いのを、毛脛《けずね》へ引挟《ひっぱさ》むがごとくにして、紫蘇《しそ》の実に糖蝦《あみ》の塩辛《しおから》、畳み鰯《いわし》を小皿にならべて菜ッ葉の漬物|堆《うずたか》く、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤《まっか》な顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗《ごろはちぢゃわん》でさらさらと掻食《かっくら》って、掻食いつつ菊枝が支えかねたらしく夜具に額をあてながら、時々吐息を深くするのを、茶碗の上から流眄《ながしめ》に密《そっ》と見ぬように見て釣込まれて肩で呼吸《いき》。
思出したように急がしく掻込《かっこ》んで、手拭《てぬぐい》の端《はじ》でへの字に皺《しわ》を刻んだ口の端《はた》をぐいと拭《ふ》き、差置いた箸《はし》も持直さず、腕を組んで傾いていたが、台所を見れば引窓から、門口《かどぐち》を見れば戸の透《すき》から、早や九時十時の日ざしである。このあたりこそ気勢《けはい》もせぬが、広場一ツ越して川端へ出れば、船の行交《ゆきか》い、人通り、烟突《えんとつ》の煙、木場の景色、遠くは永代、新大橋、隅田川の模様なども、同一《おんなじ》時刻の
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