ずるりと縁台へ脱いで赤裸々《まっぱだか》。
黄色な膚《はだ》も、茶じみたのも、清水の色に皆白い。
学生は面《おもて》を背けた。が、年増に限らぬ……言合せたように皆頭痛膏を、こめかみへ。その時、ぽかんと起きた、茶店の女のどろんとした顔にも、斉《ひと》しく即効紙《そっこうし》がはってある。
「食《や》るが可《い》い。よく冷えてら。堪《たま》らねえや。だが、あれだよ、皆《みんな》、渡してある小遣《こづかい》で各々《めいめい》持《もち》だよ――西瓜《すいか》が好《よ》かったらこみで行きねえ、中は赤いぜ、うけ合だ。……えヘッヘッ。」
きゃあらきゃあらと若い奴《やつ》、蜩《ひぐらし》の化けた声を出す。
「真桑、李を噛《かじ》るなら、あとで塩湯を飲みなよ。――うんにゃ飲みなよ。大金のかかった身体《からだ》だ。」
と大爺は大王のごとく、真正面の框《かまち》に上胡坐《あげあぐら》になって、ぎろぎろと膚《はだ》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す。
とその中を、すらりと抜けて、褄《つま》も包ましいが、ちらちらと小刻《こきざみ》に、土手へ出て、巨石《おおいし》の其方《そなた》の隅に、松の根に立った娘がある。……手にも掬《むす》ばず、茶碗にも後《おく》れて、浸して吸ったかと思うばかり、白地の手拭の端を、莟《つぼ》むようにちょっと啣《くわ》えて悄《しお》れた。巣立の鶴の翼を傷《いた》めて、雲井の空から落ちざまに、さながら、昼顔の花に縋《すが》ったようなのは、――島田髭《しまだ》に結って、二つばかり年は長《た》けたが、それだけになお女らしい影を籠《こ》め、色香を湛《たた》え、情《なさけ》を含んだ、……浴衣は、しかし帯さえその時のをそのままで、見紛《みまが》う方なき、雲井桜の娘である。
七
――お前たち。渡した小遣《こづかい》。赤い西瓜。皆の身体《からだ》。大金――と渦のごとく繰返して、その娘のおなじように、おなじ空に、その時瞳をじっと据えたのを視《み》ると、渠《かれ》は、思わず身を震わした。
面《おもて》を背けて、港の方《かた》を、暗くなった目に一目仰いだ時である。
「火事だ、」謹三はほとんど無意識に叫んだ。
「火事だ、火事です。」
と見る、偉大なる煙筒《えんとつ》のごとき煙の柱が、群湧《むらがりわ》いた、入道雲の頂へ、海ある空へ真黒《まっくろ》にすくと立つと、太陽《ひ》を横に並木の正面、根を赫《かっ》と赤く焼いた。
「火事――」と道の中へ衝《つ》と出た、人の飛ぶ足より疾《はや》く、黒煙《くろけむり》は幅を拡げ、屏風《びょうぶ》を立てて、千仭《せんじん》の断崖《がけ》を切立てたように聳《そばだ》った。
「火事だぞ。」
「あら、大変。」
「大《おおき》いよ!」
火事だ火事だと、男も女も口々に――
「やあ、馬鹿々々。何だ、そんな体《なり》で、引込《ひっこ》まねえか、こら、引込まんか。」
と雲の峰の下に、膚脱《はだぬぎ》、裸体《はだか》の膨れた胸、大《おおき》な乳、肥《ふと》った臀《しり》を、若い奴が、鞭《むち》を振って追廻す――爪立《つまだ》つ、走る、緋《ひ》の、白の、股《もも》、向脛《むかはぎ》を、刎上《はねあ》げ、薙伏《なぎふ》せ、挫《ひし》ぐばかりに狩立てる。
「きゃッ。」
「わッ。」
と呼ぶ声、叫ぶ声、女どもの形は、黒い入道雲を泳ぐように立騒ぐ真上を、煙の柱は、じりじりと蔽《おお》い重《かさな》る。……
畜生――修羅――何等の光景。
たちまち天に蔓《はびこ》って、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来《ゆきき》も、いつまたたく間か、どッと溜《たま》った。
謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。……
あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧《わ》いて、涙を絞って流落ちた。
ばらばらばら!
火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗《あら》く、疎《まばら》に、巨石《おおいし》の面《おもて》にかかって、ぱッと鼓草《たんぽぽ》の花の散るように濡れたと思うと、松の梢《こずえ》を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠《かす》めて、ひらりと金色《こんじき》に飜って落ちたのは鮒《ふな》である。
「火事じゃあねえ、竜巻だ。」
「やあ、竜巻だ。」
「あれ。」
と口の裡《うち》、呼吸《いき》を引くように、胸の浪立った娘の手が、謹三の袂《たもと》に縋《すが》って、
「可恐《こわ》い……」
「…………」
「どうしましょうねえ。」
と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。
――いかになるべき人たちぞ…
[#地から1字上げ]大正九(一九二〇)年十月
底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡
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