くろ》にすくと立つと、太陽《ひ》を横に並木の正面、根を赫《かっ》と赤く焼いた。
「火事――」と道の中へ衝《つ》と出た、人の飛ぶ足より疾《はや》く、黒煙《くろけむり》は幅を拡げ、屏風《びょうぶ》を立てて、千仭《せんじん》の断崖《がけ》を切立てたように聳《そばだ》った。
「火事だぞ。」
「あら、大変。」
「大《おおき》いよ!」
 火事だ火事だと、男も女も口々に――
「やあ、馬鹿々々。何だ、そんな体《なり》で、引込《ひっこ》まねえか、こら、引込まんか。」
 と雲の峰の下に、膚脱《はだぬぎ》、裸体《はだか》の膨れた胸、大《おおき》な乳、肥《ふと》った臀《しり》を、若い奴が、鞭《むち》を振って追廻す――爪立《つまだ》つ、走る、緋《ひ》の、白の、股《もも》、向脛《むかはぎ》を、刎上《はねあ》げ、薙伏《なぎふ》せ、挫《ひし》ぐばかりに狩立てる。
「きゃッ。」
「わッ。」
 と呼ぶ声、叫ぶ声、女どもの形は、黒い入道雲を泳ぐように立騒ぐ真上を、煙の柱は、じりじりと蔽《おお》い重《かさな》る。……
 畜生――修羅――何等の光景。
 たちまち天に蔓《はびこ》って、あの湖の薬研の銀も真黒になったかと思うと、村人も、往来《ゆきき》も、いつまたたく間か、どッと溜《たま》った。
 謹三の袖に、ああ、娘が、引添う。……
 あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧《わ》いて、涙を絞って流落ちた。
 ばらばらばら!
 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗《あら》く、疎《まばら》に、巨石《おおいし》の面《おもて》にかかって、ぱッと鼓草《たんぽぽ》の花の散るように濡れたと思うと、松の梢《こずえ》を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠《かす》めて、ひらりと金色《こんじき》に飜って落ちたのは鮒《ふな》である。
「火事じゃあねえ、竜巻だ。」
「やあ、竜巻だ。」
「あれ。」
 と口の裡《うち》、呼吸《いき》を引くように、胸の浪立った娘の手が、謹三の袂《たもと》に縋《すが》って、
「可恐《こわ》い……」
「…………」
「どうしましょうねえ。」
 と引いて縋る、柔い細い手を、謹三は思わず、しかと取った。
 ――いかになるべき人たちぞ…
[#地から1字上げ]大正九(一九二〇)年十月



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡
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