思切って逆戻りにその饂飩屋を音訪《おとず》れたのであった。
「御免なさい。」
と小村さんが優しい穏《おだやか》な声を掛けて、がたがたがたと入ったが、向うの対手《あいて》より土間の足許《あしもと》を俯向《うつむ》いて視《み》つつ、横にとぼとぼと歩行《ある》いた。
灯が一つ、ぼうと赤く、宙に浮いたきりで何も分らぬ。釣《つり》ランプだが、火屋《ほや》も笠も、煤《すす》と一所に油煙で黒くなって正体が分らないのであった。
が凝視《みつ》める瞳で、やっと少しずつ、四辺《あたり》の黒白《あいろ》が分った時、私はフト思いがけない珍らしいものを視《み》た。
二
框《かまち》の柱、天秤棒《てんびんぼう》を立掛けて、鍋釜《なべかま》の鋳掛《いかけ》の荷が置いてある――亭主が担ぐか、場合に依ってはこうした徒《てあい》の小宿《こやど》でもするか、鋳掛屋の居るに不思議はない。が、珍らしいと思ったのは、薄汚れた鬱金木綿《うこんもめん》の袋に包んで、その荷に一|挺《ちょう》、紛《まが》うべくもない、三味線を結《ゆわ》え添えた事である。
話に聞いた――谷を深く、麓《ふもと》を狭く、山の奥へ入
前へ
次へ
全79ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング