、私のために取返すんです。袖が返るとともに、更《あらた》めて結婚します。夫婦になります。が、勿論しかし、それが夫婦のものの、身の終結になるかも分りません。なぜと云うに、革鞄と同時に、兇器をもって貴下のお身体《からだ》に向うのです。万一お生命《いのち》を縮めるとなれば、私はその罪を負わねばならないのですから。それは勿論覚悟の前です……お察し下さい、これはほとんど私が生命を忘れ、世間を忘れ、甚しきは一|人《にん》の親をも忘れるまで、寝食を廃しまして、熟慮反省を重ねた上の決意なのです。はじめは貴方が、当時汽車の窓から赤城山の絶頂に向って御投棄てになったという、革鞄の鍵を、何《なん》とぞして、拾い戻して、その鍵を持ちながらお目にかかって、貴下の手から錠を解いて、縫のその袖を返して頂きたいと存じ、およそ半年、百日に亙《わた》りまして、狂と言われ、痴と言われ、愚と言われ、嫉妬《しっと》と言われ、じんすけと嘲《あざ》けられつつも、多勢《たぜい》の人数を狩集《かりあつ》めて、あの辺の汽車の沿道一帯を、粟《あわ》、蕎麦《そば》、稲を買求めて、草に刈り、芥《あくた》にむしり、甚しきは古塚の横穴を発《あば》いてまで、捜させました。流星のごとく天際に消えたのでしょう、一点似た釘も見当りません。――唯今……要求しますのは、その後《のち》の決心である事を諒《りょう》として下さいまし。縫もよくこの意を体して、三年の間、昼夜を分かず、的を射る修錬をいたしました。――最初、的をつくります時、縫がものさしを取って、革鞄の寸法を的に切りましたが、ここで実物を拝見しますと、その大《おおき》さと言い、錠前のある位置と言い、ほとんど寸分の違いもありません。……不思議です。……特に奇蹟と存じますのは、――家の地続きを劃《しき》って、的場を建てましたのですが、土地の様子、景色、一本の松の形、地蔵のあるまで。)
 ――私《わっし》はすくんだね――
(夢のようによく似ています。……多分、皆お互に、こうした運命だと存じます。……短銃《ピストル》は特に外国に註文して、英国製の最優良なのを取寄せました。連発ですが、弾丸はただ一つしか籠《こ》めてありません、きっと仕損じますまい。しかし、御覚悟を下さいまし。――もっとも革鞄と重《かさな》ってお立ち下さいますのに、その間隔は、五|間《けん》、十間、あるいは百間、三百間、貴下《あ
前へ 次へ
全40ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング