一丁場《ひとちょうば》だけれども、線路が上りで、進行が緩い処へ、乗客が急に少く、二人三人と数えるばかり、大《おおき》な木の葉がぱらりと落ちたようであるから、掻合《かきあ》わす外套《がいとう》の袖《そで》も、妙にばさばさと音がする。外は霜であろう。山の深さも身に沁《し》みる。夜《よ》さえそぞろに更け行くように思われた。
「来ましたよ。」
「二人きりですね。」
 と私は言った。
 名にし負う月の名所である。ここの停車場《ステエション》を、月の劇場の木戸口ぐらいな心得違いをしていた私たちは、幟《のぼり》や万燈《まんどう》には及ばずとも、屋号をかいた弓張提灯《ゆみはりぢょうちん》で、へい、茗荷屋《みょうがや》でございます、旅店の案内者ぐらいは出ていようと思ったの大きな見当|違《ちがい》。絵に描《か》いた木曾の桟橋《かけはし》を想わせる、断崖《がけ》の丸木橋のようなプラットフォームへ、しかも下りたのはただ二人で、改札口へ渡るべき橋もない。
 一人がバスケットと、一人が一升|壜《びん》を下げて、月はなけれど敷板の霜に寒い影を映しながら、あちらへ行《ゆ》き、こちらへ戻り、で、小村さんが唇をちょっと曲げて、
「汽車が出ないと向うへは渡られませんよ。」
「成程。線路を突切《つっき》って行く仕掛けなんです。」
 やがてむらむらと立昇る白い煙が、妙に透通って、颯《さっ》と屋根へ掛《かか》る中を、汽車は音もしないように静《しずか》に動き出す、と漆《うるし》のごとき真暗《まっくら》な谷底へ、轟《ごう》と谺《こだま》する……
「行っていらっしゃいまし……お静《しずか》に――」
 と私はつい、目の前《さき》をすれすれに行く、冷たそうに曇った汽車の窓の灯《あかり》に挨拶《あいさつ》した。ここへ二人きり置いて行かれるのが、山へ棄《す》てられるような気がして心細かったからである。
 壇はあるが、深いから、首ばかり並んで霧の裡《なか》なる線路を渡った。
「ちょっと、伺いますが。」
「はあ?」
 手ランプを提げた、真黒《まっくろ》な扮装《いでたち》の、年の少《わか》い改札|掛《がかり》わずかに一人《いちにん》。
 待合所の腰掛の隅には、頭から毛布《けっと》を被《かぶ》ったのが、それもただ一人居る。……これが伊勢だと、あすこを狙《ねら》って吹矢を一本――と何も不平を言うのではない、旅の秋を覚えたので。――小
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