大きな邸《やしき》があつた。……其の門内《もんない》へつツと入ると、真正面の玄関の右傍《みぎわき》に、庭園に赴《おもむ》く木戸際《きどぎわ》に、古槐《ふるえんじゅ》の大木《たいぼく》が棟《むね》を蔽《おお》うて茂つて居た。枝の下を、首のない躯《むくろ》と牛は、ふと又《また》歩を緩《ゆる》く、東海道の松並木《まつなみき》を行く状《さま》をしたが、間《あい》の宿《しゅく》の灯《ひ》も見えず、ぼツと煙の如く消えたのであつた。
 官人は少時《しばし》茫然《ぼうぜん》として門前《もんぜん》の靄《もや》に彳《たたず》んだ。
「角助《かくすけ》。」
「はツ。」
「当家《とうけ》は、これ、斎藤道三《さいとうどうさん》の子孫ででもあるかな。」
「はーツ。」
「いやさ、入道《にゅうどう》道三の一族ででもあらうかと言ふ事ぢや。」
「はツ、へゝい。」
「む、いや、分らずば可《よ》し。……一応|検《しら》べる。――とに角《かく》いそいで案内をせい。」
 しかし故《ことさ》らに主人が立会《たちあ》ふほどの事ではない。その邸《やしき》の三太夫《さんだゆう》が、やがて鍬《くわ》を提げた爺《じい》やを従へて出て、一同|槐《えんじゅ》の根を立囲《たちかこ》んだ。地《じ》の少し窪《くぼ》みのあるあたりを掘るのに、一鍬《ひとくわ》、二鍬《ふたくわ》、三鍬《みくわ》までもなく、がばと崩れて五六|尺《しゃく》、下に空洞《うつろ》が開《あ》いたと思へ。
 べとりと一面|青苔《あおごけ》に成つて、欠釣瓶《かけつるべ》が一具《いちぐ》、さゝくれ立《だ》つた朽目《くちめ》に、大《おおき》く生えて、鼠《ねずみ》に黄を帯びた、手に余るばかりの茸《きのこ》が一本。其の笠《かさ》既に落ちたり、とあつて、傍《わき》にものこそあれと説《い》ふ。――こゝまで読んで、私は又|慌《あわ》てた。化《ば》けて角《つの》の生えた蛞蝓《なめくじ》だと思つた、が、然《そ》うでない。大《おおい》なる蝦蟆《がま》が居た。……其の疣《いぼ》一つづゝ堂門《どうもん》の釘《くぎ》かくしの如しと言ふので、巨《おおき》さのほども思はれる。
 蝦蟆《がま》即《すなわち》牛矣《うし》、菌《きのこ》即《すなわち》其人也《そのひとなり》。古釣瓶《ふるつるべ》には、その槐《えんじゅ》の枝葉《しよう》をしたゝり、幹《みき》を絞り、根に灌《そそ》いで、大樹《たいじゅ》の津液《しずく》が、木《こ》づたふ雨の如く、片濁《かたにご》りしつつ半《なか》ば澄んで、ひた/\と湛《たた》へて居た。油《あぶら》即《すなわち》此《これ》であつた。
 呆《あき》れた人々の、目鼻の、眉《まゆ》とともに動くに似ず、けろりとした蝦蟆が、口で、鷹揚《おうよう》に宙に弧《こ》を描いて、
「とう。とう、とう/\。」
 と鳴くにつれて、茸《きのこ》の軸が、ぶる/\と動くと、ぽんと言ふやうに釣瓶《つるべ》の箍《たが》が嚔《くさめ》をした。同時に霧《きり》がむら/\と立つて、空洞《うつろ》を塞《ふさ》ぎ、根を包み、幹を騰《のぼ》り、枝に靡《なび》いた、その霧が、忽《たちま》ち梢《こずえ》から雫《しずく》となり、門内《もんない》に降りそゝいで、やがて小路《こうじ》一面の雨と成つたのである。
 官人の、真前《まっさき》に飛退《とびの》いたのは、敢《あえ》て怯《おび》えたのであるまい……衣帯《いたい》の濡《ぬ》れるのを慎《つつし》んだためであらう。
 さて、三太夫《さんだゆう》が更《あらた》めて礼して、送りつつ、木《こ》の葉《は》落葉《おちば》につゝまれた、門際《もんぎわ》の古井戸《ふるいど》を覗《のぞ》かせた。覗くと、……
「御覧《ごろう》じまし、殿様。……あの輩《やから》が仕《つかまつ》りまする悪戯《あくぎ》と申しては――つい先日も、雑水《ぞうみず》に此なる井戸を汲《く》ませまするに水は底に深く映りまして、……釣瓶《つるべ》はくる/\とその、まはりまするのに、如何《いか》にしても上《のぼ》らうといたしませぬ。希有《けう》ぢやと申して、邸内《ていない》多人数《たにんず》が立出《たちい》でまして、力を合せて、曳声《えいごえ》でぐいと曳《ひ》きますとな……殿様。ぽかんと上《あが》つて、二三人に、はずみで尻餅《しりもち》を搗《つ》かせながらに、アハヽと笑うた化《ばけ》ものがござりまする。笑ひ落ちに、すぐに井戸の中へ辷《すべ》り込みまする処《ところ》を、おのれと、奴めの頭を掴《つか》みましたが、帽子だけ抜けて残りましたで、其《それ》を、さらしものにいたしまする気で生垣《いけがき》に引掛《ひきか》けて置きました。その帽子が、此の頃の雨つゞきに、何と御覧じまするやうに、恁《かく》の通り。」……
 と言つて指《さ》して見せたのが、雨に沢《つや》を帯びた、猪口茸《いぐち》に似た、ぶくりとし
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