れ》に附着《くツつ》いて寢《ね》た。眠《ねむ》くはないので、ぱちくり/\目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《あ》いて居《ゐ》ても、物《もの》は幻《まぼろし》に見《み》える樣《やう》になつて、天井《てんじやう》も壁《かべ》も卓子《テエブル》の脚《あし》も段々《だん/\》消《き》えて行《ゆ》く心細《こゝろぼそ》さ。
塾《じゆく》の山田《やまだ》は、湯《ゆ》に行《い》つて、教場《けうぢやう》にも二階《にかい》にも誰《たれ》も居《を》らず、物音《ものおと》もしなかつた。枕頭《まくらもと》へ……ばたばたといふ跫音《あしおと》、ものの近寄《ちかよ》る氣勢《けはひ》がする。
枕《まくら》をかへして、頭《つむり》を上《あ》げた、が誰《たれ》も來《き》たのではなかつた。
しばらくすると、再《ふたゝ》び、しと/\しと/\と摺足《すりあし》の輕《かる》い、譬《たと》へば身體《からだ》の無《な》いものが、踵《きびす》ばかり疊《たゝみ》を踏《ふ》んで來《く》るかと思《おも》ひ取《と》られた。また顏《かほ》を上《あ》げると何《なん》にも居《を》らない。其時《そのとき》は前《まへ》より天窓《あたま》が重《おも》かつた、顏《かほ》を上《あ》げるが物憂《ものう》かつた。
繰返《くりかへ》して三度《さんど》、また跫音《あしおと》がしたが、其時《そのとき》は枕《まくら》が上《あが》らなかつた。室内《しつない》の空氣《くうき》は唯《たゞ》彌《いや》が上《うへ》に蔽重《おほひかさな》つて、おのづと重量《ぢうりやう》が出來《でき》て壓《おさ》へつけるやうな!
鼻《はな》も口《くち》も切《せつな》さに堪《た》へられず、手《て》をもがいて空《くう》を拂《はら》ひながら呼吸《いき》も絶《た》え/″\に身《み》を起《おこ》した、足《あし》が立《た》つと、思《おも》はずよろめいて向《むか》うの襖《ふすま》へぶつかつたのである。
其《その》まゝ押開《おしあ》けると、襖《ふすま》は開《あ》いたが何《なん》となくたてつけに粘氣《ねばりけ》があるやうに思《おも》つた。此處《こゝ》では風《かぜ》が涼《すゞ》しからうと、其《それ》を頼《たのみ》に恁《か》うして次《つぎ》の室《ま》へ出《で》たのだが矢張《やつぱり》蒸暑《むしあつ》い、押覆《おつかぶ》さつたやうで呼吸苦《いきぐる》しい。
最《も》う一《ひと》ツ向《むか》うの廣室《ひろま》へ行《ゆ》かうと、あへぎ/\六疊敷《ろくでふじき》を縱《たて》に切《き》つて行《ゆ》くのだが、瞬《またゝ》く内《うち》に凡《およ》そ五百里《ごひやくり》も歩行《ある》いたやうに感《かん》じて、疲勞《ひらう》して堪《た》へられぬ。取縋《とりすが》るものはないのだから、部屋《へや》の中央《まんなか》に胸《むね》を抱《いだ》いて、立《た》ちながら吻《ほつ》と呼吸《いき》をついた。
まあ、彼《あ》の恐《おそろ》しい所《ところ》から何《ど》の位《くらゐ》離《はな》れたらうと思《おも》つて怖々《こは/″\》と振返《ふりかへ》ると、ものの五尺《ごしやく》とは隔《へだ》たらぬ私《わたし》の居室《ゐま》の敷居《しきゐ》を跨《また》いで明々地《あからさま》に薄紅《うすくれなゐ》のぼやけた絹《きぬ》に搦《から》まつて蒼白《あをじろ》い女《をんな》の脚《あし》ばかりが歩行《ある》いて來《き》た。思《おも》はず駈《か》け出《だ》した私《わたし》の身體《からだ》は疊《たゝみ》の上《うへ》をぐる/\まはつたと思《おも》つた。其《そ》のも一《ひと》ツの廣室《ひろま》を夢中《むちう》で突切《つツき》つたが、暗《くら》がりで三尺《さんじやく》の壁《かべ》の處《ところ》へ突當《つきあた》つて行處《ゆきどころ》はない、此處《こゝ》で恐《おそろ》しいものに捕《とら》へられるのかと思《おも》つて、あはれ神《かみ》にも佛《ほとけ》にも聞《きこ》えよと、其壁《そのかべ》を押破《おしやぶ》らうとして拳《こぶし》で敲《たゝ》くと、ぐら/\として開《あ》きさうであつた。力《ちから》を籠《こめ》て、向《むか》うへ押《お》して見《み》たが效《かう》がないので、手許《てもと》へ引《ひ》くと、颯《さつ》と開《ひら》いた。
目《め》を塞《ふさ》いで飛込《とびこ》まうとしたけれども、あかるかつたから驚《おど》いて退《さが》つた。
唯《と》見《み》ると、床《とこ》の間《ま》も何《なん》にもない。心持《こゝろもち》十疊《じふでふ》ばかりもあらうと思《おも》はれる一室《ひとま》にぐるりと輪《わ》になつて、凡《およ》そ二十人餘《にじふにんあまり》女《をんな》が居《ゐ》た。私《わたし》は目《め》まひがした故《せゐ》か一人《ひとり》も顏《かほ》は見《み》なかつた。又《また》顏《かほ》のある者《もの》とも思《おも》はなかつた。白《しろ》い乳《ちゝ》を出《だ》して居《ゐ》るのは胸《むね》の處《ところ》ばかり、背向《うしろむき》のは帶《おび》の結目許《ゆひめばか》り、疊《たゝみ》に手《て》をついて居《ゐ》るのもあつたし、立膝《たてひざ》をして居《ゐ》るのもあつたと思《おも》ふのと見《み》るのと瞬《またゝ》くうち、ずらりと居並《ゐなら》んだのが一齊《いつせい》に私《わたし》を見《み》た、と胸《むね》に應《こた》へた、爾時《そのとき》、物凄《ものすご》い聲音《こわね》を揃《そろ》へて、わあといつた、わあといつて笑《わら》ひつけた何《なん》とも頼《たのみ》ない、譬《たと》へやうのない聲《こゑ》が、天窓《あたま》から私《わたし》を引抱《ひつかゝ》へたやうに思《おも》つた。トタンに、背後《うしろ》から私《わたし》の身體《からだ》を横切《よこぎ》つたのは例《れい》のもので、其女《そのをんな》の脚《あし》が前《まへ》へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》つて、眼《め》さきに見《み》えた。※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》といふ間《ま》に内《うち》へ引摺込《ひきずりこ》まれさうになつたので、はツとすると前《まへ》へ倒《たふ》れた。熱《ねつ》のある身體《からだ》はもんどりを打《う》つて、元《もと》のまゝ寢床《ねどこ》の上《うへ》にドツと跳《をど》るのが身《み》を空《くう》に擲《なげう》つやうで、心着《こゝろづ》くと地震《ぢしん》かと思《おも》つたが、冷《つめた》い汗《あせ》は瀧《たき》のやうに流《なが》れて、やがて枕《まくら》について綿《わた》のやうになつて我《われ》に返《かへ》つた。奧《おく》では頻《しきり》に嬰兒《あかご》の泣聲《なきごゑ》がした。
其《それ》から煩《わづら》ひついて、何時《いつ》まで經《た》つても治《なほ》らなかつたから、何《なに》もいはないで其《そ》の内《うち》をさがつた。直《たゞ》ちに忘《わす》れるやうに快復《くわいふく》したのである。
地方《ちはう》でも其界隈《そのかいわい》は、封建《ほうけん》の頃《ころ》極《きは》めて風《ふう》の惡《わる》い士町《さむらひまち》で、妙齡《めうれい》の婦人《ふじん》の此處《こゝ》へ連込《つれこ》まれたもの、また通懸《とほりかゝ》つたもの、況《ま》して腰元妾奉公《こしもとめかけぼうこう》になど行《い》つたものの生《い》きて歸《かへ》つた例《ためし》はない、とあとで聞《き》いた。殊《こと》に件《くだん》の邸《やしき》に就《つ》いては、種々《しゆ/″\》の話《はなし》があるが、却《かへ》つて拵事《こしらへごと》じみるからいふまい。
教師《けうし》は其《その》あとで、嬰兒《あかご》が夜泣《よなき》をして堪《た》へられないといふことで直《ぢき》に餘所《よそ》へ越《こ》した。幾度《いくど》も住人《すみて》が變《かは》つて、今度《こんど》のは久《ひさ》しく住《す》んで居《ゐ》るさうである。
[#地から5字上げ]明治三十三年二月
底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2007年4月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング