》は手《て》を上《あ》げて、憚樣《はゞかりさま》やとばかりに、夕暮近《ゆふぐれぢか》き野路《のぢ》の雨《あめ》、思《おも》ふ男《をとこ》と相合傘《あひあひがさ》の人目《ひとめ》稀《まれ》なる横※[#「さんずい+散」、42−3]《よこしぶき》、濡《ぬ》れぬ前《きき》こそ今《いま》はしも、
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と前後《ぜんご》も辨《わきま》へず讀《よ》んで居《ゐ》ると、私《わたし》の卓子《つくゑ》を横《よこ》に附着《つきつ》けてある件《くだん》の明取《あかりとり》の障子《しやうじ》へ、ぱら/\と音《おと》がした。
忍《しの》んで小説《せうせつ》を讀《よ》む内《うち》は、木《き》にも萱《かや》にも心《こゝろ》を置《お》いたので、吃驚《びつくり》して、振返《ふりかへ》ると、又《また》ぱら/\ぱら/\といつた。
雨《あめ》か不知《しら》、時《とき》しも秋《あき》のはじめなり、洋燈《ランプ》に油《あぶら》をさす折《をり》に覗《のぞ》いた夕暮《ゆふぐれ》の空《そら》の模樣《もやう》では、今夜《こんや》は眞晝《まひる》の樣《やう》な月夜《つきよ》でなければならないがと思《おも》ふ内《うち》も猶《なほ》其音《そのおと》は絶《た》えず聞《きこ》える。おや/\裏庭《うらには》の榎《えのき》の大木《たいぼく》の彼《あ》の葉《は》が散込《ちりこ》むにしては風《かぜ》もないがと、然《さ》う思《おも》ふと、はじめは臆病《おくびやう》で障子《しやうじ》を開《あ》けなかつたのが、今《いま》は薄氣味惡《うすきみわる》くなつて手《て》を拱《こまぬ》いて、思《おも》はず暗《くら》い天井《てんじやう》を仰《あふ》いで耳《みゝ》を澄《す》ました。
一分《いつぷん》、二分《にふん》、間《あひだ》を措《お》いては聞《きこ》える霰《あられ》のやうな音《おと》は次第《しだい》に烈《はげ》しくなつて、池《いけ》に落込《おちこ》む小※[#「さんずい+散」、42−12]《こしぶき》の形勢《けはひ》も交《まじ》つて、一時《いちじ》は呼吸《いき》もつかれず、ものも言《い》はれなかつた。だが、しばらくして少《すこ》し靜《しづ》まると、再《ふたゝ》びなまけた連續《れんぞく》した調子《てうし》でぱら/\。
家《いへ》の内《うち》は不殘《のこらず》、寂《しん》として居《ゐ》たが、この音《おと》を知《し》らないではなく、いづれも聲《こゑ》を飮《の》んで脈《みやく》を數《かぞ》へて居《ゐ》たらしい。
窓《まど》と筋斜《すぢかひ》に上下《うへした》差向《さしむか》つて居《ゐ》る二階《にかい》から、一度《いちど》東京《とうきやう》に來《き》て博文館《はくぶんくわん》の店《みせ》で働《はたら》いて居《ゐ》たことのある、山田《やまだ》なにがしといふ名代《なだい》の臆病《おくびやう》ものが、あてもなく、おい/\と沈《しづ》んだ聲《こゑ》でいつた。
同時《どうじ》に一室《ひとま》措《お》いた奧《おく》の居室《へや》から震《ふる》へ聲《ごゑ》で、何《なん》でせうね。更《さら》に、一寸《ちよつと》何《なん》でせうね。止《や》むことを得《え》ず、えゝ、何《なん》ですか、音《おと》がしますが、と、之《これ》をキツカケに思《おも》ひ切《き》つて障子《しやうじ》を開《あ》けた。池《いけ》はひつくりかへつても居《を》らず、羽目板《はめいた》も落《お》ちず、壁《かべ》の破《やぶれ》も平時《いつも》のまゝで、月《つき》は形《かたち》は見《み》えないが光《ひかり》は眞白《まつしろ》にさして居《ゐ》る。とばかりで、何事《なにごと》も無《な》く、手早《てばや》く又《また》障子《しやうじ》を閉《し》めた。音《おと》はかはらず聞《きこ》えて留《や》まぬ。
處《ところ》へ、細君《さいくん》はしどけない寢衣《ねまき》のまゝ、寢《ね》かしつけて居《ゐ》たらしい、乳呑兒《ちのみご》を眞白《まつしろ》な乳《ちゝ》のあたりへしつかりと抱《だ》いて色《いろ》を蒼《あを》うして出《で》て見《み》えたが、ぴつたり私《わたし》の椅子《いす》の下《もと》に坐《すわ》つて、石《いし》のやうに堅《かた》くなつて目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて居《ゐ》る。
おい山田《やまだ》下《お》りて來《こ》い、と二階《にかい》を大聲《おほごゑ》で呼《よ》ぶと、ワツといひさま、けたゝましく、石垣《いしがき》が崩《くづ》れるやうにがたびしと駈《か》け下《お》りて、私《わたし》の部屋《へや》へ一所《いつしよ》になつた。いづれも一言《ひとこと》もなし。
此上《このうへ》何事《なにごと》か起《おこ》つたら、三人《さんにん》とも團子《だんご》に化《な》つてしまつたらう。
何《なん》だか此池《このいけ》を仕切《しき》つた屋根《やね》
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