生《じゆくせい》は罵《のゝし》つた。池《いけ》を圍《かこ》んだ三方《さんぱう》の羽目《はめ》は板《いた》が外《はづ》れて壁《かべ》があらはれて居《ゐ》た。室數《へやかず》は總體《そうたい》十七もあつて、庭《には》で取※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《とりまは》した大家《たいけ》だけれども、何百年《なんびやくねん》の古邸《ふるやしき》、些《すこし》も手《て》が入《はひ》らないから、鼠《ねずみ》だらけ、埃《ほこり》だらけ、草《くさ》だらけ。
塾生《じゆくせい》と家族《かぞく》とが住《す》んで使《つか》つてゐるのは三室《みま》か四室《よま》に過《す》ぎない。玄關《げんくわん》を入《はひ》ると十五六疊《じふごろくでふ》の板敷《いたじき》、其《それ》へ卓子《テエブル》椅子《いす》を備《そな》へて道場《だうぢやう》といつた格《かく》の、英漢數學《えいかんすうがく》の教場《けうぢやう》になつて居《ゐ》る。外《そと》の蜘蛛《くも》の巣《す》の奧《おく》には何《なに》が住《す》んでるか、内《うち》の者《もの》にも分《わか》りはせなんだ。
其日《そのひ》から數《かぞ》へて丁度《ちやうど》一週間前《いつしうかんまへ》の夜《よ》、夜學《やがく》は無《な》かつた頃《ころ》で、晝間《ひるま》の通學生《つうがくせい》は歸《かへ》つて了《しま》ひ、夕飯《ふゆはん》が濟《す》んで、私《わたし》の部屋《へや》の卓子《つくゑ》の上《うへ》で、燈下《とうか》に美少年録《びせうねんろく》を讀《よ》んで居《ゐ》た。
一體《いつたい》塾《じゆく》では小説《せうせつ》が嚴禁《げんきん》なので、うつかり教師《けうし》に見着《みつ》かると大目玉《おほめだま》を喰《く》ふのみならず、此《この》以前《いぜん》も三馬《さんば》の浮世風呂《うきよぶろ》を一册《いつさつ》沒收《ぼつしう》されて四週間《ししうかん》置放《おきつぱな》しにされたため、貸本屋《かしほんや》から嚴談《げんだん》に逢《あ》つて、大金《たいきん》を取《と》られ、目《め》を白《しろ》くしたことがある。
其夜《そのよ》は教師《けうし》も用達《ようたし》に出掛《でか》けて留守《るす》であつたから、良《やゝ》落着《おちつ》いて讀《よ》みはじめた。やがて、
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二足《にそく》つかみの供振《ともぶり》を、見返《みかへ》るお夏《なつ
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