も思《おも》はなかつた。白《しろ》い乳《ちゝ》を出《だ》して居《ゐ》るのは胸《むね》の處《ところ》ばかり、背向《うしろむき》のは帶《おび》の結目許《ゆひめばか》り、疊《たゝみ》に手《て》をついて居《ゐ》るのもあつたし、立膝《たてひざ》をして居《ゐ》るのもあつたと思《おも》ふのと見《み》るのと瞬《またゝ》くうち、ずらりと居並《ゐなら》んだのが一齊《いつせい》に私《わたし》を見《み》た、と胸《むね》に應《こた》へた、爾時《そのとき》、物凄《ものすご》い聲音《こわね》を揃《そろ》へて、わあといつた、わあといつて笑《わら》ひつけた何《なん》とも頼《たのみ》ない、譬《たと》へやうのない聲《こゑ》が、天窓《あたま》から私《わたし》を引抱《ひつかゝ》へたやうに思《おも》つた。トタンに、背後《うしろ》から私《わたし》の身體《からだ》を横切《よこぎ》つたのは例《れい》のもので、其女《そのをんな》の脚《あし》が前《まへ》へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]《まは》つて、眼《め》さきに見《み》えた。※[#「口+阿」、第4水準2−4−5]呀《あなや》といふ間《ま》に内《うち》へ引摺込《ひきずりこ》まれさうになつたので、はツとすると前《まへ》へ倒《たふ》れた。熱《ねつ》のある身體《からだ》はもんどりを打《う》つて、元《もと》のまゝ寢床《ねどこ》の上《うへ》にドツと跳《をど》るのが身《み》を空《くう》に擲《なげう》つやうで、心着《こゝろづ》くと地震《ぢしん》かと思《おも》つたが、冷《つめた》い汗《あせ》は瀧《たき》のやうに流《なが》れて、やがて枕《まくら》について綿《わた》のやうになつて我《われ》に返《かへ》つた。奧《おく》では頻《しきり》に嬰兒《あかご》の泣聲《なきごゑ》がした。
其《それ》から煩《わづら》ひついて、何時《いつ》まで經《た》つても治《なほ》らなかつたから、何《なに》もいはないで其《そ》の内《うち》をさがつた。直《たゞ》ちに忘《わす》れるやうに快復《くわいふく》したのである。
地方《ちはう》でも其界隈《そのかいわい》は、封建《ほうけん》の頃《ころ》極《きは》めて風《ふう》の惡《わる》い士町《さむらひまち》で、妙齡《めうれい》の婦人《ふじん》の此處《こゝ》へ連込《つれこ》まれたもの、また通懸《とほりかゝ》つたもの、況《ま》して腰元妾奉公《こしもとめかけぼうこう》になど
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