深《せんしん》の紅《くれなゐ》、唯《たゞ》公《きみ》が命《めい》のまゝ也《なり》。昌黎《しやうれい》其《そ》の放語《はうご》を憎《にく》み、言《い》ふがまゝに其《そ》の術《じゆつ》をなせよと言《い》ふ。
猶子《いうし》先《ま》づ屏風《びやうぶ》を借《か》り得《え》て、庭《には》に牡丹叢《ぼたんさう》を蔽《おほ》ひ、人《ひと》の窺《うかゞ》ふことを許《ゆる》さず。獨《ひと》り其《そ》の中《なか》にあり。※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《くわ》の四方《しはう》を掘《ほ》り、深《ふか》さ其《そ》の根《ね》に及《およ》び、廣《ひろ》さ人《ひと》を容《い》れて坐《ざ》す。唯《たゞ》紫粉《むらさきこ》と紅《べに》と白粉《おしろい》を齎《もた》らし入《い》るのみ。恁《か》くて旦《あした》に暮《くれ》に其《そ》の根《ね》を治《をさ》む。凡《すべ》て一七日《いちしちにち》、術《じゆつ》成《な》ると稱《しよう》し、出《い》でて昌黎《しやうれい》に對《たい》して、はじめて羞《は》ぢたる色《いろ》あり。曰《いは》く、恨《うら》むらくは節《せつ》遲《おそ》きこと一月《ひとつき》なり、時《とき》既《すで》に冬《ふゆ》にして我《わ》が思《おも》ふがまゝならずと。然《しか》れども花《はな》開《ひら》いて絢爛《けんらん》たり。昌黎《しやうれい》植《う》うる處《ところ》、牡丹《ぼたん》もと紫《むらさき》、今《いま》は白紅《はくこう》にして縁《ふち》おの/\緑《みどり》に、月界《げつかい》の採虹《さいこう》玲瓏《れいろう》として薫《かを》る。尚《な》ほ且《か》つ朶《はなびら》ごとに一聯《いちれん》の詩《し》あり。奇《き》なる哉《かな》、字《じ》の色《いろ》分明《ぶんみやう》にして紫《むらさき》なり。瞳《ひとみ》を定《さだ》めてこれを讀《よ》めば――雲横秦嶺家何在《くもしんれいによこたはつていへいづくにかある》、雪擁藍關馬不前《ゆきらんくわんをようしてうますゝまず》――昌黎《しやうれい》、時《とき》に其《そ》の意《い》の何《なに》たるを知《し》らず。既《すで》にして猶子《いうし》が左道《さだう》を喜《よろこ》ばず、教《をし》ふべからずとして、江淮《かうくわい》に追還《おひかへ》す。
未《いま》だ幾干《いくばく》ならざるに、昌黎《しやうれい》、朝《てう》に佛骨《ぶつこつ》の表《へう》を
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