何《いか》なる事《こと》ぞと、奪《うば》つて是《これ》を見《み》れば、其《そ》の品《しな》有平糖《あるへいたう》の缺《かけら》の如《ごと》くにして、あらず、美《うつく》しき桃《もゝ》の花片《はなびら》なり。掌《たなそこ》を落《おと》せば、ハラハラと膝《ひざ》に散《ち》る。時《とき》や冬《ふゆ》、小春日《こはるび》の返《かへ》り咲《ざき》にも怪《あや》し何處《いづこ》にか取《と》り得《え》たる。昌黎《しやうれい》屹《きつ》と其《そ》の面《おもて》を睨《にら》まへてあり。韓湘《かんしやう》拜謝《はいしや》して曰《いは》く、小姪《せうてつ》此《こ》の藝當《げいたう》ござ候《さふらふ》。因《よ》りて書《しよ》を讀《よ》まず又《また》學《まな》ばざるにて候《さふらふ》。昌黎《しやうれい》信《まこと》とせず、審《つまびらか》に其《そ》の仔細《しさい》を詰《なじ》れば、韓湘《かんしやう》高《たか》らかに歌《うた》つて曰《いは》く、青山雲水《せいざんうんすゐ》の窟《くつ》、此《こ》の地《ち》是《こ》れ我《わ》が家《いへ》。子夜《しや》瓊液《けいえき》を※[#「歹+食」、第4水準2−92−50]《そん》し、寅晨《いんしん》降霞《かうか》を咀《くら》ふ。琴《こと》は碧玉《へきぎよく》の調《てう》を彈《たん》じ、爐《ろ》には白珠《はくしゆ》の砂《すな》を煉《ね》る。寶鼎《はうてい》金虎《きんこ》を存《そん》し、芝田《しでん》白鴉《はくあ》を養《やしな》ふ。一瓢《いつぺう》に造化《ざうくわ》を藏《ざう》し、三尺《さんじやく》妖邪《えうじや》を斬《き》り、逡巡《しゆんじゆん》の酒《さけ》を造《つく》ることを解《かい》し、また能《よ》く頃刻《けいこく》の花《はな》を開《ひら》かしむ。人《ひと》ありて能《よ》く我《われ》に學《まな》ばば、同《おなじ》くともに仙葩《せんぱ》を看《み》ん、と且《か》つ歌《うた》ひ且《か》つ花《はな》の微紅《びこう》を噛《か》む。昌黎《しやうれい》敢《あへ》て信《しん》ぜず。韓湘《かんしやう》又《また》館《やかた》、階前《かいぜん》の牡丹叢《ぼたんさう》を指《ゆびさ》して曰《いは》く、今《いま》、根《ね》あるのみ。叔公《をぢさん》もし花《はな》を欲《ほつ》せば、我《われ》乃《すなはち》開《ひら》かしめん。青黄紅白《せいくわうこうはく》、正暈倒暈《せいうんたううん》、淺
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