わさる。……明日にも江戸へ帰って、可愛い孫娘の顔を見るまでは、死んでもなかなか目は瞑《ねむ》らぬ。」
「さてさて捻《ねじ》るわ、ソレそこが捻平さね。勝手になされ。さあ、あの娘《こ》立ったり、この爺様《じいさま》に遠慮は入らぬぞ。それ、何にも芸がないと云うて肩腰をさすろうと卑下をする。どんな真似でも一つ遣れば、立派な芸者の面目《めんぼく》が立つ。祝儀取るにも心持が可《よ》かろうから、是非見たい。が、しかし心のままにしなよ、決して勤《つとめ》を強いるじゃないぞ。」
「あんなに仰有《おっしゃ》って下さるもの。さあ、どんな事するのや知らんが、まずうても大事ない、大事ない、それ、支度は入らぬかい。」
「あい、」
とわずかに身を起すと、紫の襟を噛《か》むように――ふっくりしたのが、あわれに窶《やつ》れた――頤《おとがい》深く、恥かしそうに、内懐《うちぶところ》を覗《のぞ》いたが、膚身《はだみ》に着けたと思わるる、……胸やや白き衣紋《えもん》を透かして、濃い紫の細い包、袱紗《ふくさ》の縮緬《ちりめん》が飜然《ひらり》と飜《かえ》ると、燭台に照って、颯《さっ》と輝く、銀の地の、ああ、白魚《しらうお》の指に重そうな、一本の舞扇。
晃然《きらり》とあるのを押頂くよう、前髪を掛けて、扇をその、玉簪《ぎょくさん》のごとく額に当てたを、そのまま折目高にきりきりと、月の出汐《でしお》の波の影、静《しずか》に照々《てらてら》と開くとともに、顔を隠して、反らした指のみ、両方親骨にちらりと白い。
また川口の汐加減《しおかげん》、隣の広間の人動揺《ひとどよ》めきが颯と退《ひ》く。
と見れば皎然《こうぜん》たる銀の地に、黄金の雲を散らして、紺青《こんじょう》の月、ただ一輪を描いたる、扇の影に声澄みて、
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「――その時あま人|申様《もうすよう》、もしこのたまを取得たらば、この御子《みこ》を世継の御位《みくらい》になしたまえと申《もうし》しかば、子細《しさい》あらじと領承したもう、さて我子ゆえに捨ん命、露ほども惜《おし》からじと、千尋《ちひろ》のなわを腰につけ、もしこの玉をとり得たらば、このなわを動かすべし、その時人々ちからをそえ――」
[#ここで字下げ終わり]
と調子が緊《しま》って、
「……ひきあげたまえと約束し、一《ひとつ》の利剣を抜持って、」
と扇をきりりと袖を直す、と手練《てだれ》ぞ見ゆる、自《おのず》から、衣紋の位に年|長《た》けて、瞳を定めたその顔《かんばせ》。硝子《がらす》戸越に月さして、霜の川浪|照添《てりそ》う俤《おもかげ》。膝|立据《たてす》えた畳にも、燭台《しょくだい》の花颯と流るる。
「ああ、待てい。」
と捻平、力の籠《こも》った声を掛けた。
十八
で、火鉢をずっと傍《そば》へ引いて、
「女中、もちっとこれへ火をおくれ。いや、立つに及ばん。その、鉄瓶をはずせば可《よ》し。」と捻平がいいつける。
この場合なり、何となく、お千も起居《たちい》に身体《からだ》が緊《しま》った。
静《しずか》に炭火を移させながら、捻平は膝をずらすと、革鞄《かばん》などは次の室《ま》へ……それだけ床の間に差置いた……車の上でも頸《うなじ》に掛けた風呂敷包を、重いもののように両手で柔《やわら》かに取って、膝の上へ据えながら、お千の顔を除《よ》けて、火鉢の上へ片手を裏表かざしつつ、
「ああ、これ、お三重さんとか言うの、そのお娘《こ》、手を上げられい。さ、手を上げて、」
と言う。……お三重は利剣で立とうとしたのを、慌《あわただ》しく捻平に留められたので、この時まで、差開いたその舞扇が、唇の花に霞むまで、俯向《うつむ》いた顔をひたと額につけて、片手を畳に支《つ》いていた。こう捻平に声懸けられて、わずかに顔を振上げながら、きりきりと一まず閉じると、その扇を畳むに連れて、今まで、濶《かっ》と瞳を張って見据えていた眼《まなこ》を、次第に塞《ふさ》いだ弥次郎兵衛は、ものも言わず、火鉢のふちに、ぶるぶると震う指を、と支えた態《なり》の、巻莨《まきたばこ》から、音もしないで、ほろほろと灰がこぼれる。
捻平|座蒲団《さぶとん》を一膝《ひとひざ》出て、
「いや、更《あらた》めて、熟《とく》と、見せてもらおうじゃが、まずこっちへ寄らしゃれ。ええ、今の謡《うたい》の、気組みと、その形《かた》。教えも教えた、さて、習いも習うたの。
こうまでこれを教うるものは、四国の果《はて》にも他《ほか》にはあるまい。あらかた人は分ったが、それとなく音信《たより》も聞きたい。の、其許《そこ》も黙って聞かっしゃい。」
と弥次が方《かた》に、捻平|目遣《めづか》いを一つして、
「まず、どうして、誰から、御身《おみ》は習うたの。」
「はい、」
と弱々
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