え》は出来なかったけれど、ちっともなるほどと思われるようなことはなかった。
だって、私、母様《おっかさん》のおっしゃること、虚言《うそ》だと思いませんもの。私の母様がうそをいって聞かせますものか。
先生は同一組《おなじクラス》の小児《こども》達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私を欺《だま》すんでも、母様がいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるで母様のと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。
私が頷《うなず》かないので、先生がまた、それでは、皆《みんな》あなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ち優《まさ》った、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎《どだい》にして、お談話《はなし》をしようからって、聞きました。
分らない、私そうは思わなかった。
「あのウ母様《おっかさん》(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそう謂《い》つたの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」
先生は束髪に結った、色の黒い、なりの低い巌乗《がんじょう》な、でくでく肥《ふと》った婦人《おんな》の方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。
「母様、それで怒ったの、そうなの。」
母様は合点《がってん》々々をなすって、
「おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。」
といって笑顔をなすったが、これは私の悪戯《いたずら》をして、母様のおっしゃること肯《き》かない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾《にっこり》笑ってお見せの、それとかわらなかった。
そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。
「だって、虚言《うそ》をいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、母様、あのお邸《やしき》の坊ちゃんの、青だの、紫だの交《まじ》った、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。」
「あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、母様のほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていれば可《い》のだから、いってはなりませんよ。可いかい。そして先生が腹を立ってお憎みだって、そういうけれど、何そんなことがありますものか。それは皆《みんな》お前がそう思うからで、あの、雀だって餌《え》を与《や》って、拾ってるのを見て、嬉しそうだと思えば嬉しそうだし、頬白がおじさんにさされた時悲しい声と思って見れば、ひいひいいって鳴いたように聞えたじゃないか。
それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。」
「ああ沢山。」
「じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳に聞えないでも、そのかわり眼にはうつくしいよ。」
モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、戸外《おもて》には、なかなか雨がやみそうにもない。
五
また顔を出して窓から川を見た。さっきは雨脚《あめあし》が繁くって、まるで、薄墨で刷《は》いたよう、堤防《どて》だの、石垣だの、蛇籠《じゃかご》だの、中洲《なかす》に草の生えた処だのが、点々《ぽっちりぽっちり》、あちらこちらに黒ずんでいて、それで湿っぽくって、暗かったから見えなかったが、少し晴れて来たから、ものの濡れたのが皆《みんな》見える。
遠くの方に堤防《どて》の下の石垣の中ほどに、置物のようになって、畏《かしこま》って、猿が居る。
この猿は、誰が持主というのでもない。細引《ほそびき》の麻縄で棒杭《ぼうぐい》に結《ゆわ》えつけてあるので、あの、湿地茸《しめじたけ》が、腰弁当の握飯を半分|与《や》ったり、坊ちゃんだの、乳母《ばあや》だのが、袂《たもと》の菓子を分けて与ったり、紅《あか》い着物を着ている、みいちゃんの紅雀《べにすずめ》だの、青い羽織を着ている吉公《きちこう》の目白だの、それからお邸《やしき》のかなりやの姫様《ひいさん》なんぞが、皆《みんな》で、からかいに行っては、花を持たせる、手拭《てぬぐい》を被《かぶ》せる、水鉄砲を浴《あび》せるという、好きな玩弄物《おもちゃ》にして、そのかわり何でもたべるものを分けてやるので、誰といって、きまって世話をする、飼主
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング