ても橋銭を置いて行ってくれません。ずるいからね、引籠《ひっこも》って誰も見ていないと、そそくさ通抜けてしまいますもの。」
私はその時分は何にも知らないでいたけれども、母様《おっかさん》と二人ぐらしは、この橋銭で立って行ったので、一人《ひとり》前いくらかずつ取って渡しました。
橋のあったのは、市《まち》を少し離れた処で、堤防《どて》に松の木が並んで植《うわ》っていて、橋の袂《たもと》に榎《えのき》が一本、時雨榎《しぐれえのき》とかいうのであった。
この榎の下に、箱のような、小さな、番小屋を建てて、そこに母様と二人で住んでいたので、橋は粗造な、まるで、間に合せといったような拵え方、杭《くい》の上へ板を渡して竹を欄干にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらい一時《いっとき》に渡ったからッて、少し揺れはしようけれど、折れて落ちるような憂慮《きづかい》はないのであった。
ちょうど市《まち》の場末に住んでる日傭取《ひようとり》、土方、人足、それから、三味線《さみせん》を弾いたり、太鼓を鳴《なら》して飴《あめ》を売ったりする者、越後獅子《えちごじし》やら、猿廻《さるまわし》やら、附木《つけぎ》を売る者だの、唄を謡うものだの、元結《もっとい》よりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目貫《めぬき》の市《まち》へ出て行《ゆ》く往帰《ゆきかえ》りには、是非|母様《おっかさん》の橋を通らなければならないので、百人と二百人ずつ朝晩|賑《にぎや》かな人通りがある。
それからまた向うから渡って来て、この橋を越して場末の穢《きたな》い町を通り過ぎると、野原へ出る。そこン処《とこ》は梅林で、上の山が桜の名所で、その下に桃谷というのがあって、谷間《たにあい》の小流《こながれ》には、菖蒲《あやめ》、燕子花《かきつばた》が一杯咲く。頬白《ほおじろ》、山雀《やまがら》、雲雀《ひばり》などが、ばらばらになって唄っているから、綺麗《きれい》な着物を着た間屋の女《むすめ》だの、金満家《かねもち》の隠居だの、瓢《ひさご》を腰へ提げたり、花の枝をかついだりして千鳥足で通るのがある。それは春のことで。夏になると納涼《すずみ》だといって人が出る。秋は蕈狩《たけがり》に出懸けて来る、遊山《ゆさん》をするのが、皆《みんな》内の橋を通らねばならない。
この間も誰かと二三人づれで、学校のお師匠さんが、内の前
前へ
次へ
全22ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング