を思《おも》つた。其《その》たびにさういつて母様《おつかさん》にきいて見《み》るト何《なに》、皆《みんな》鳥《とり》が囀《さへづ》つてるんだの、犬《いぬ》が吠《ほ》えるんだの、あの、猿《さる》が歯《は》を剥《む》くんだの、木《き》が身《み》ぶるいをするんだのとちつとも違《ちが》つたことはないツて、さうおつしやるけれど、矢張《やつぱり》さうばかりは思《おも》はれないで、いぢめられて泣《な》いたり、撫《な》でられて嬉《うれ》しかつたりしい/\したのを、其都度《そのつど》母様《おつかさん》に教《をし》へられて、今《いま》じやあモウ何《なん》とも思《おも》つて居《ゐ》ない。
そしてまだ如彼《あゝ》濡《ぬ》れては寒《さむ》いだらう、冷《つめ》たいだらうと、さきのやうに雨《あめ》に濡《ぬ》れてびしよ/\行《ゆ》くのを見《み》ると気《き》の毒《どく》だつたり、釣《つり》をして居《ゐ》る人《ひと》がおもしろさうだとさう思《おも》つたりなんぞしたのが、此節《このせつ》じやもう唯《たゞ》変《へん》な簟《きのこ》だ、妙《めう》な猪《いぬしゝ》の王様《わうさま》だと、をかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見《み》ツともないばかりである、馬鹿《ばか》々々しいばかりである、それからみいちやんのやうなのは可愛《かあい》らしいのである、吉公《きちかう》のやうなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀《べにすゞめ》がうつくしいのと、目白《めじろ》が可愛《かあい》らしいのと些少《ちつと》も違《ちが》ひはせぬので、うつくしい、可愛《かあい》らしい。うつくしい、可愛《かあい》らしい。

     第七

また憎《にく》らしいのがある。腹立《はらた》たしいのも他《ほか》にあるけれども其《それ》も一場合《あるばあひ》に猿《さる》が憎《にく》らしかつたり、鳥《とり》が腹立《はらだ》たしかつたりするのとかはりは無《な》いので、煎《せん》ずれば皆《みな》をかしいばかり、矢張《やつぱり》噴飯材料《ふきだすたね》なんで、別《べつ》に取留《とりと》めたことがありはしなかつた。
で、つまり情《じやう》を動《うご》かされて、悲《かなし》む、愁《うれ》うる、楽《たのし》む、喜《よろこ》ぶなどいふことは、時《とき》に因《よ》り場合《ばあひ》に於《おい》ての母様《おつかさん》ばかりなので。余所《よそ》のものは何《ど》うであらうと些少《ちつと》も心《こころ》には懸《か》けないやうに日《ひ》ましにさうなつて来《き》た。しかしかういふ心《こゝろ》になるまでには、私《わたし》を教《をし》へるために毎日《まいにち》、毎晩《まいばん》、見《み》る者《もの》、聞《き》くものについて、母様《おつかさん》がどんなに苦労《くらう》をなすつて、丁寧《ていねい》に親切《しんせつ》に飽《あ》かないで、熱心《ねつしん》に、懇《ねんごろ》に噛《か》むで含《ふく》めるやうになすつたかも知《し》れはしない。だもの、何《ど》うして学校《がくかう》の先生《せんせい》をはじめ、余所《よそ》のものが少《せう》々位《ぐらゐ》のことで、分《わか》るものか、誰《だれ》だつて分《わか》りやしません。
処《ところ》が、母様《おつかさん》と私《わたし》とのほか知《し》らないことをモ一人《ひとり》他《ほか》に知《し》つてるものがあるさうで、始終《しゞう》母様《おつかさん》がいつてお聞《き》かせの、其《それ》は彼処《あすこ》に置物《おきもの》のやうに畏《かしこま》つて居《ゐ》る、あの猿《さる》―あの猿《さる》の旧《もと》の飼主《かひぬし》であつた―老父《ぢい》さんの猿廻《さるまはし》だといひます。
さつき私《わたし》がいつた、猿《さる》に出処《しゆつしよ》があるといふのはこのことで。
まだ私《わたし》が母様《おつかさん》のお腹《なか》に居《ゐ》た時分《じぶん》だツて、さういひましたつけ。
初卯《はつう》の日《ひ》、母様《おつかさん》が腰元《こしもと》を二人|連《つ》れて、市《まち》の卯辰《うたつ》の方《はう》の天神様《てんじんさま》へお参《まゐ》ンなすつて、晩方《ばんがた》帰《かへ》つて居《ゐ》らつしやつた、ちやうど川向《かはむか》ふの、いま猿《さる》の居《ゐ》る処《ところ》で、堤坊《どて》[#「堤坊」はママ]の上《うへ》のあの柳《やなぎ》の切株《きりかぶ》に腰《こし》をかけて猿《さる》のひかへ綱《づな》を握《にぎ》つたなり、俯向《うつむ》いて、小《ちひ》さくなつて、肩《かた》で呼吸《いき》をして居《ゐ》たのが其《その》猿廻《さるまはし》のぢいさんであつた。
大方《おほかた》今《いま》の紅雀《べにすゞめ》の其《その》姉《ねえ》さんだの、頬白《ほゝじろ》の其《その》兄《にい》さんだのであつたらうと思《おも》はれる、男
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