なすつたが、これは私《わたし》の悪戯《いたづら》をして、母様《おつかさん》のおつしやること肯《き》かない時《とき》、ちつとも叱《しか》らないで、恐《こは》い顔《かほ》しないで、莞爾《につこり》笑《わら》つてお見《み》せの、其《それ》とかはらなかつた。
さうだ。先生《せんせい》の怒《おこ》つたのはそれに違《ちが》ひない。
「だつて、虚言《うそ》をいつちやあなりませんつて、さういつでも先生《せんせい》はいふ癖《くせ》になあ、ほんとう[#「とう」に「ママ」の注記]に僕《ぼく》、花《はな》の方《はう》がきれいだと思《おも》ふもの。ね、母様《おつかさん》、あのお邸《やしき》の坊《ぼつ》ちん[#「ちん」に「ママ」の注記]の青《あを》だの、紫《むらさき》だの交《まじ》つた、着物《きもの》より、花《はな》の方《はう》がうつくしいつて、さういふのね。だもの、先生《せんせい》なんざ。」
「あれ、だつてもね、そんなこと人《ひと》の前《まへ》でいふのではありません。お前《まへ》と、母様《おつかさん》のほかには、こんないゝこと知《し》つてるものはないのだから、分《わか》らない人《ひと》にそんなこといふと、怒《おこ》られますよ。唯《たゞ》、ねえ、さう思《おも》つて、居《ゐ》れば、可《いゝ》のだから、いつてはなりませんよ。可《いゝ》かい。そして先生《せんせい》が腹《はら》を立《た》つてお憎《にく》みだつて、さういふけれど、何《なに》そんなことがありますものか。其《それ》は皆《みんな》お前《まへ》がさう思《おも》ふからで、あの、雀《すゞめ》だつて餌《ゑさ》を与《や》つて、拾《ひろ》つてるのを見《み》て、嬉《うれ》しさうだと思《おも》へば嬉《うれ》しさうだし、頬白《ほゝじろ》がおぢさんにさゝれた時《とき》悲《かな》しい声《こゑ》だと思《おも》つて見《み》れば、ひい/\いつて鳴《な》いたやうに聞《き》こえたぢやないか。
それでも先生《せんせい》が恐《こは》い顔《かほ》をしておいでなら、そんなものは見《み》て居《ゐ》ないで、今《いま》お前《まへ》がいつた、其《その》うつくしい菊《きく》の花《はな》を見《み》て居《ゐ》たら可《いゝ》でしやう。ね、そして何《なに》かい、学校《がくかう》のお庭《には》に咲《さ》いてるのかい。」
「あゝ沢山《たくさん》。」
「ぢやあ其《その》菊《きく》を見《み》やうと思《おも》つて学校《がくかう》へおいで。花《はな》にはね、ものをいはないから耳《みゝ》に聞《き》こえないでも、其《その》かはり眼《め》にはうつくしいよ。」
モひとつ不平《ふへい》なのはお天気《てんき》の悪《わる》いことで、戸外《おもて》にはなか/\雨《あめ》がやみさうにもない。
第五
また顔《かほ》を出《だ》して窓《まど》から川《かは》を見《み》た。さつきは雨脚《あめあし》が繁《しげ》くつて、宛然《まるで》、薄墨《うすゞみ》で刷《は》いたやう、堤防《どて》だの、石垣《いしがき》だの、蛇籠《じやかご》だの、中洲《なかず》に草《くさ》の生《は》へた処《ところ》だのが、点々《ぽつちり/\》、彼方此方《あちらこちら》に黒《くろ》ずんで居《ゐ》て、それで湿《しめ》つぽくツて、暗《くら》かつたから見《み》えなかつたが、少《すこ》し晴《は》れて来《き》たからものゝ濡《ぬ》れたのが皆《みんな》見《み》える。
遠《とほ》くの方《はう》に堤防《どて》の下《した》の石垣《いしがき》の中《なか》ほどに、置物《おきもの》のやうになつて、畏《かしこま》つて、猿《さる》が居《ゐ》る。
この猿《さる》は、誰《だれ》が持主《もちぬし》といふのでもない、細引《ほそびき》の麻繩《あさなは》で棒杭《ばうくひ》に結《ゆわ》えつけてあるので、あの、占治茸《しめぢたけ》が、腰弁当《こしべんたう》の握飯《にぎりめし》を半分《はんぶん》与《や》つたり、坊《ばつ》ちやんだの、乳母《ばあや》だのが袂《たもと》の菓子《くわし》を分《わ》けて与《や》つたり、赤《あか》い着物《きもの》を着《き》て居《ゐ》る、みいちやんの紅雀《べにすゞめ》だの、青《あを》い羽織《はおり》を着《き》て居《い》る吉公《きちこう》の目白《めじろ》だの、それからお邸《やしき》のかなりやの姫様《ひいさま》なんぞが、皆《みんな》で、からかいに行《い》つては、花《はな》を持《も》たせる、手拭《てぬぐひ》を被《かむ》せる、水鉄砲《みづてつぽう》を浴《あ》びせるといふ、好《す》きな玩弄物《おもちや》にして、其代《そのかはり》何《なん》でもたべるものを分《わ》けてやるので、誰《たれ》といつて、きまつて、世話《せわ》をする、飼主《かひぬし》はないのだけれど、猿《さる》の餓《う》ゑることはありはしなかつた。
時々《とき/″\》悪戯《いたづら》をして、其《その》紅
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