して、ものをいうにも呼吸《いき》をはずまして、可訝《おかし》いだろうじゃないか。先刻《さっき》僕の帰った時も、戸をあけると、吃驚《びっくり》して、何だかおどおどしておいでだったぜ。こないだの時だってもそうだ。髯に向って、(いらっしゃいまし)自分の亭主を迎えるとって、(いらっしゃいまし)なんて、言う奴があるものか。何だってそう気が小さくッて、物驚きをするんだなあ。それだから疑ぐられるんだ。不可《いけない》ねえ。」
 お貞は淋しげなる微笑《えみ》を含み、
「そういってながら芳さんもあの時はやっぱりそそッかしく、二階へ駈《か》け上ったじゃあないかね。」
 少年は別に考うる体《てい》もなく、
「そりゃ何だ、僕は何も恐《こわ》いことはないけれど、あの髯が嫌だからだ。何だか虫が好かなくッて、見ると癪《しゃく》に障るっちゃあない、僕あもう大嫌《だいきらい》だ。」
 と臆面《おくめん》もなく言うて退《の》けつ。渠《かれ》は少年の血気にまかせて、後前《あとさき》見ずにいいたるが、さすがにその妻の前なるに心着きけむ、お貞の色をうかがいたり。
 お貞は気に懸けたる状《さま》もなく、かえって同意を表するごとく、勢《いきおい》なげに歎息して、
「誰が見てもちがいはないねえ。私だってやっぱり嫌だわ。だがね、芳ちゃんは、なぜ好かないの。」
 少年はお貞の言《ことば》の吾が意を得たるに元気づきて、声の調子を高めたり。
「他《ほか》にね、こうといって、まだ此家《ここ》へ来て、そんなに間もないこったから、どこにどうという取留めたこともないけれど、ただね、髯の様子がね、亡なった姉様の亭主に肖《に》ているからね、そのせいだろうと思うんだ。」
「そうして、不可《いけな》いお方だったの。」
 少年はそぞろに往時を追懐すらむ、慨然《がいぜん》としたりけるが、
「不可いどころの騒《さわぎ》じゃない、姉様を殺した奴だもの。」
 お貞は太《いた》く感ぜし状《さま》にて、
「まあ。」
 とそのうるみたる眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りぬ。
「酷《ひど》い人ね、何だッてまた姉様を殺したんだろうね。芳さんのお姉様《あねえさん》なら、どんなにか優しい、佳《い》い人だったろうにさ。」
「そりゃ、真実《ほんとう》に僕を可愛がってくれたッちゃあないよ。今着ている衣服《きもの》なんか、台なしになってるけれど、姉様がわざと縫って寄来《よこ》したもんだから、大事にして着ているんだ。」
「そのせいで似合うのかねえ。」
 とお貞は今更のごとく少年の可憐なる状《さま》ぞ瞻《みまも》られける。水上芳之助は年紀《とし》十六、そのいう処、行う処、無邪気なれどもあどけなからず。辛苦のうちに生《おい》たちて浮世を知れる状見えつ。もののいいぶりはきはきして、齢《よわい》のわりには大人びたり。

       四

 要なければここには省く。少年はお蓮《れん》といえりし渠《かれ》の姉が、少《わか》き時配偶を誤りたるため、放蕩《ほうとう》にして軽薄なる、その夫判事なにがしのために虐遇され、精神的に殺されて入水して果てたりし、一条の惨話を物語りつ。語《ことば》は簡に、意は深く、最もものに同情を表して、動かされ易きお貞をして、悲痛の涙に咽《むせ》ばしめたり。
 語を継ぎて少年言う。
「姉様《ねえさん》もやっぱり酷《ひど》いめにあわされるから、それで髯《ひげ》が嫌なんだろう。」
 折からぶつぶつと湯の沸返《にえかえ》りて、ぱっと立ちたる湯気に驚き、少年は慌《あわただ》しく鉄瓶の蓋《ふた》を外し、お貞は身を斜《ななめ》になりて、茶棚より銅《あかがね》の水差を取下して急がわしく水を注《さ》しつ。
「いいえ、違うよ。私のはまた全く芳さんの姉さんとは反対《あちこち》で、あんまり深切にされるから、もう嫌で、嫌で、ならないんだわ。」
 少年は太《いた》く怪《あやし》み、
「そんな事っちゃアあるもんでない。何だって優しくされて、それで嫌だというがあるものか。」
「まあさ、お聞きなね。深切だといえば深切だが、どちらかといえば執着《しつこ》いのだわ。かいつまんで話すがね、ちょいと聞賃をあげるから。」
 と菓子皿を取出《とりいだ》して、盛りたる羊羹《ようかん》に楊枝《ようじ》を添え、
「一ツおあがり、いまお茶を入替えよう。」
 と吸子の茶殻を、こぼしにあけ、
「芳ちゃんだから話すんだよ。誰にも言っちゃ不可《いけな》いよ。実は私の父親《おとっさん》は、中年から少し気が違ったようになって、とうとうそれでおなくなりなすったがね、親のことをいうようだけれど、母様《おっかさん》は少し了簡違《りょうけんちが》いをして、父親《おとっさん》が病気のあいだに、私には叔父さんだ、弟ごと関着《くッつ》いたの。
 するとお祖父《じい》さんのお計らいで、私が乳《ち》放れをするとすぐに二人とも追出して、御自分で私を育てて、十三の時までお達者だったが、ああ、十四の春だった。中風《ちゅうぶ》でお悩みなすってから、動くことも出来なくおなりで、家《うち》は広し、四方は明地《あきち》で、穴のような処に住んでたもんだから、火事なんぞの心配はないのだけれど、盗賊《どろぼう》にでも入られたら、それこそどうすることもならないのよ。お金子《かね》も少々あったそうだし。
 雇いの婆さんは居たけれど、耳は遠いし、そんなことの助けにゃならず、祖父《おじい》さんの看病も私一人では覚束《おぼつか》なし、確《たしか》な後見をといった処で、また後見なんていうものは、あとでよく間違が出来るものだから、それよりか、いっそ私に……というので、親類中で相談を極《き》めて、とうとうあてがったのが今の旦那なの。
 その頃ちょうど高等中学校を卒業したので、ま、宅《うち》へ来てから、東京へ出て、大学へ入ろうという相談でね、もともと内の緊《しま》りにもなってもらわなきゃあならないというんでさ、わざッと年の違ったのを貰ったもんだから、旦那は二十九で、私は十四。」
 お貞は今吸子に湯をばささんとして、鉄瓶に手を懸けたる、片手を指折りて数えみつ。
「十五の違《ちがい》だね。もっとも晩学だとかいうので、大抵なら二十五六で、学士になるのが多いってね。」
「無論さ。」
 と少年は傾聴しながら喙《くち》を容《い》れたり。
 お貞は煎茶を汲出《くみい》だして、まず少年に与えつつ、
「何だか知らないけれど、御婚礼をした時分は、嬉しくもなく、恐《こわ》くもなく、まるで夢中で、何とも思やしなかったが、実はおじいさんと二人ばかりで、他所《よそ》の人の居ない方が、御膳《ごぜん》を頂く時やなんか、私ゃ気が置けなくて可《よ》かったわ。
 変に気が詰まって、他人《ひと》の内へ泊《とまり》にでも行ったようで、窮屈で、つまらなくッて、思ってみればその時分から旦那が嫌いだったかも知れないよ。でも大方甘やかされた癖で、我儘《わがまま》の方が勝ってたのであろうと思う。
 そのうちお祖父さんも安心をなすったせいか、大層気分も好《よ》くなるし、いよいよ旦那が東京へたつというので、祝ってたたしたお酒の座で、ちっと飲《のみ》ようが多かったのがもとになってね、旦那が出発をしたそのおひるすぎに、お祖父|様《さん》は果敢《はか》なくおなりなすったのよ。私ゃもうその時は……」
 とお貞は声をうるましたり。

       五

「それからというものは[#「いうものは」は底本では「いふものは」]、私はまるで気ぬけがしたようで、内の中でも一番薄暗い、三畳の室《ま》へ入っちゃあ、どういうものだかね、隅の方へちゃんと坐って、壁の方を向いて、しくしく泣くのが癖になってね、長い間治らなかったの。そうこうするうち児《こ》が出来たわ。
 可笑《おかし》いじゃないかねえ。」
 お貞は苦々しげに打笑みたり。
「妙なものがころがり出してしまってさ、翌年《あくるとし》の十月のことなのよ。」
 と言懸けてお貞はもの案じ顔に見えたりしが、
「そうそう、芳ちゃん、まだその前《さき》にね、旦那がさ、東京へ行って三月めから、毎月々々一枚ずつ、月の朔日《ついたち》にはきっと写真を写してね、欠かさず私に送って寄来《よこ》すんだよ。まあ、御深切様じゃないかね。そのたんびに手紙がついてて、(いや今月は少し痩《や》せた)の、(今度は少し眼が悪い)の、(どうだ先月と合わしてみい、ちっとあ肥《ふと》って見えよう)なんて、言書《ことばがき》が着いてたわ。
 私ゃお祖父さんのことばかり考えて、別に何にも良人《さき》の事は思わないもんだから、ちょいと見たばかりで、ずんずん葛籠《つづら》の裡《なか》へしまいこんで打棄《うっちゃ》っといたわ。すると、いつのことだッけか、何かの拍子、お友達にめっかってね、
(まあ! お貞さん、旦那様は飛んだ御深切なお方だねえ。)サ酷《ひど》く擽《くすぐ》ったもんだろうじゃあないかえ。
 それもそのはずだね。写真の裏に一葉《ひとつ》々々、お墨附があってよ。年、月、日、西岡時彦|写之《これをうつす》、お貞殿へさ。
 私もつい口惜《くやし》紛れに、(写真の儀はお見合せ下されたく、あまりあまり人につけても)ッさ。何があまりあまりだろう、可笑《おかし》いね。そういってやると、それッきりおやめになったが、十四五枚もあった写真を、また見られちゃあ困ると思ったがね、人にも遣《や》られず、焼くことも出来ずさ、仕方がないから、一|纏《まと》めにして、お持仏様の奥ン処へ容《い》れておいてよ。毎日拝んだから可いではないかね。」
 先刻《さき》に干したる湯呑の中へ、吸子の茶の濃くなれるを、細く長くうつしこみて、ぐっと一口飲みたるが、あまり苦かりしにや湯をさしたり。
 少年はただ黙して聞きぬ。
 お貞は口をうるおして、
「児《こ》が出来る、もうそのしくしく泣いてばかりいる癖はなくなッて、小児《こども》にばかり気を取られて、他《ほか》に何にも考えることも、思うこともなくッて、ま、五歳《いつつ》六歳《むッつ》の時は知らず、そのしばらくの間ほど、苦労のなかった時はないよ。
 すると、その夏の初《はじめ》の頃、戸外《おもて》にがらがらと腕車《くるま》が留《とま》って、入って来た男があったの。沓脱《くつぬぎ》に突立《つった》ってて、案内もしないから、寝かし着けていた坊やを置いて、私が上り口に出て行って、
(誰方《どなた》、)といって、ふいと見ると驚いたが、よくよく見ると旦那なのよ。旦那は旦那だが、見違えるほど瘠《や》せていて、ま、それも可いが妙な恰好《かっこう》さ。
 大きな眼鏡のね、黒磨《くろずり》でもって、眉毛から眼へかけて、頬ッペたが半分隠れようという黒眼鏡を懸けて、希代さね、何のためだろう。それにあのそれ呼吸器とかいうものを口へ押着《おッつ》けてさ、おまけに鬚《ひげ》を生やしてるじゃあないか。それで高帽子《たかじゃっぽ》で、羽織がというと、縞《しま》の透綾《すきや》を黒に染返したのに、五三の何か縫着紋《ぬいつけもん》で、少し丈不足《たけたらず》というのを着て、お召が、阿波縮《あわちぢみ》で、浅葱《あさぎ》の唐縮緬《とうちりめん》の兵児帯《へこおび》を〆《し》めてたわ。
 どうだい、芳さん、私も思わず知らず莞爾《にっこり》したよ、これは帰って[#「帰って」は底本では「帰つて」]来たのが嬉しいのより、いっそその恰好が可笑《おかし》かったせいなのよ。
 病気で帰ったというこッたから、私も心配をして、看病をしたがね、胃病だというので、ちょいとは快《よ》くならない。一月も二月も、そうさ[#「そうさ」は底本では「さうさ」]、かれこれ三月ばかりもぶらぶらして、段々瘠せるもんだから、坊やは居るし、私もつい心細くなッて、そっと夜出掛けちゃあお百度を踏んだのよ。するとね、その事が分ったかして、
(お貞、そんなに吾《おれ》を治したいか)ッて、私の顔を瞻《みつ》めるからね。何の気なしで、(はい、あなたがよくなって下さいませねば、どうしましょう、私どもは路頭に立たなければなりません。)と真実《ほんとう》の処をいったのよ
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