りゃ私だって、嫌だ、嫌だとはいうものの、どこがといっちゃあ返事が出来ない。けれども嫌だから仕様がないわ。
 それだから私も、なに言うことに逆らわず、良人はやっぱり良人だから、嫌だっても良人だから、良人のように謹んで事《つか》えているもの。そう疑ぐるには及ばないじゃあないかね。芳さん、芳さんの姉様《ねえさん》がひどくされたようでも困るけれど、男はちったあ男らしく、たまには出歩行《であるき》でもしないとね、男に意気地《いくじ》がないようで、女房の方でも頼母《たのも》しくなくなるのよ。
 それを旦那と来た日にゃあ、ちょいとの間でも家《うち》に居て、私の番をしていたがるんだわ。それも私が行届かないせいだろうと、気を着けちゃあいるし、それにもう私は旦那の犠牲《いけにえ》だとあきらめてる。分らないながらも女の道なんてことも聞いてるから、浮気らしい真似もしないけれど、芳さん、あの人の弱点《よわみ》だね。それがために出世も出来ないなんといった日にゃ、私ゃいっそ可哀相だよ。あわれだよ。
 何の密夫《まおとこ》の七人ぐらい、疾《とっ》くに出来ないじゃあなかったが……」
 といいかけしがお貞はみずからその言過しを恥じたる色あり。
「これは話さ。」
 と口軽に言消して、
「何も見張っていたからって、しようのあるもんじゃあないわね。」
 お貞は面《おもて》晴々しく、しおれし姿きりりとなりて、その音調も気競《きお》いたり。
「しかしね、芳さん、世の中は何という無理なものだろう。ただ式三献《おさかずき》をしたばかりで、夫だの、妻だのッて、妙なものが出来上ってさ。女の身体《からだ》はまるで男のものになって、何をいわれてもはいはいッて、従わないと、イヤ、不貞腐《ふてくされ》だの、女の道を知らないのと、世間でいろんなことをいうよ。
 折角お祖父さんが御丹精で、人並に育ったものを、ただで我ものにしてしまって、誰も難有《ありがた》がりもしないじゃないか。
 それでいて婦人《おんな》はいつも下手《したで》に就いて、無理も御道理《ごもっとも》にして通さねばならないという、そんな勘定に合わないことッちゃあ、あるもんじゃない。どこかへ行こうといったって、良人がならないといえば、はい、起《た》てといえば、はい、寝ろといわれりゃそれも、はい、だわ。
 人間一|人《にん》を縦にしようが、横にしようが、自分の好《すき》なままにしておきながら、まだ不足で、たとえば芳さんと談話《はなし》をすることはならぬといわれりゃ、やっぱり快く落着いて談話も出来ないだろうじゃないかね。
 一体操を守れだの、良人に従えだのという、捉《おきて》かなんか知らないが、そういったようなことを極《き》めたのは、誰だと、まあ、お思いだえ。
 一遍婚礼をすりゃ疵者《きずもの》だの、離縁《さられ》るのは女の恥だのッて、人の身体《からだ》を自由にさせないで、死ぬよりつらい思いをしても、一生嫌な者の傍《そば》についてなくッちゃあならないというのは、どういう理窟だろう、わからないじゃないかね。
 まさか神様や、仏様のおつげ[#「おつげ」に傍点]があったという訳でもあるまいがね。もともと人間がそういうことを拵《こしら》えたのなら、誰だって同一《おんなじ》人間だもの、何|密夫《まおとこ》をしても可い、駈落《かけおち》をしても可いと、言出した処で、それが通って、世間がみんなそうなれば、かえって貞女だの、節婦だの、というものが、爪《つま》はじきをされようも知れないわ。
 旦那は、また、何の徳があって、私を自由にするんだろう。すっかり自分のものにしてしまって、私の身体《からだ》を縛ったろうね。食べさしておくせいだといえば、私ゃ一人で針仕事をしても、くらしかねることもないわ。ねえ、芳さん、芳さんてばさ。」
 少年は太《いた》くこの答に窮して、一言もなく聞きたりけり。

       十一

 お貞はなおも語勢強く、
「ほんとに虫のいい談話《はなし》じゃないかね、それとも私の方から、良人になッて下さいって、頼んで良人にしたものなら、そりゃどんなことでも我慢が出来るし、ちっとも不足のあるもんじゃあないが、私と旦那なんざ、え、芳さん、夫にした妻ではなくッて、妻にした良人だものを。何も私が小さくなッて、いうことを肯《き》いて縮んでいる義理もなし、操を立てるにも及ばないじゃあないか。
 芳さんとだってそうだわ。何もなかをよくしたからとッて、不思議なことはないじゃあないかね。こないだ騒ぎが持上って、芳さんがソレ駈出《かけだ》した、あの時でも、旦那がいろいろむずかしくいうからね、(はい、芳さんとは姉弟分《きょうだいぶん》になりました。どういう縁だか知らないけれど、私が銀杏返《いちょうがえし》に結っていますと、亡なった姉様《ねえさん》に肖《に》てるッ
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