、旦那が何といっても、叱られても大事ないよ。私ゃすぐ引毀《ひっこわ》して、結直して見せようわね。」
 お貞は顔の色|尋常《ただ》ならざりき。少年は少し弱りて、
「それでなくッてさえ、先達《こないだ》のような騒《さわぎ》がはじまるものを、そんなことをしようもんなら、それこそだ。僕アまた駈出《かけだ》して行《ゆ》かにゃあならない。」
「ほんとうに、あの時は。ま、どうしようと思ったわ。
 芳さんは駈出してしまって二晩もお帰りでないし、おばあさんはまた大変に御心配遊ばしてどうしたら可《よ》かろうとおっしゃるし、旦那は旦那でものも言わないで、黙って考え込んでばかりいるしね、私はもう、面目ないやら、恥かしいやら、申訳がないやらで、ぼうッとしてしまったよ。後で聞くと何だっさ、真蒼《まっさお》になって寝ていたとさ。
 芳|様《さん》の跫音《あしおと》が聞えたので、はッと気が着いて駈出したが、それまでどうしていたんだか、まるで夢のようで[#「夢のようで」は底本では「夢のやうで」]、分らなかったよ。」
 少年は頻《しき》りに頷《うなず》き、
「僕はまた髯《ひげ》がさ、(水上《みなかみ》さん)て呼ぶから、何だと思って二階から覗《のぞ》くと、姉様《ねえさん》は突伏《つっぷ》して泣いてるし、髯は壇階子《だんばしご》の下口《おりぐち》に突立《つった》ってて、憤然《むっ》とした顔色《かおつき》で、(直ぐと明けてもらいたい。)と失敬ことを謂うじゃあないか。だから僕は不愉快で堪《たま》らないから、それからそのまんまで、家《うち》を出て、どこか可い家があったらと思ったけれど、探す時は無いもんだ。それから友達の処《ところ》へ泊って、牛《ぎゅう》を奢《おご》ってね、トランプをして遊んでいたんだ。僕あ一番強いんだぜ。滅茶々々に負かして悪体を吐《つ》いてやると、大変に怒ってね、とうとう喧嘩《けんか》をしちまったもんだから、翌晩《あくるばん》はそこに泊ることも出来ないので、仕方が無いから帰って来たんだ。」
 お貞は聞きつつ睨《にら》む真似して、
「憎らしいねえ。人の気も知らないで、お友達とトランプも無いもんだね。気が違やあしないかと、私ゃ自分でそう思った位だのにさ。」
「でも僕あ帰った時、(芳さん!)てって奥から出て来た、あの時の顔にゃ吃驚《びっくり》したよ。暮合《くれあい》ではあるし、亡《なく》なった姉さんの
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