ままにしておきながら、まだ不足で、たとえば芳さんと談話《はなし》をすることはならぬといわれりゃ、やっぱり快く落着いて談話も出来ないだろうじゃないかね。
一体操を守れだの、良人に従えだのという、捉《おきて》かなんか知らないが、そういったようなことを極《き》めたのは、誰だと、まあ、お思いだえ。
一遍婚礼をすりゃ疵者《きずもの》だの、離縁《さられ》るのは女の恥だのッて、人の身体《からだ》を自由にさせないで、死ぬよりつらい思いをしても、一生嫌な者の傍《そば》についてなくッちゃあならないというのは、どういう理窟だろう、わからないじゃないかね。
まさか神様や、仏様のおつげ[#「おつげ」に傍点]があったという訳でもあるまいがね。もともと人間がそういうことを拵《こしら》えたのなら、誰だって同一《おんなじ》人間だもの、何|密夫《まおとこ》をしても可い、駈落《かけおち》をしても可いと、言出した処で、それが通って、世間がみんなそうなれば、かえって貞女だの、節婦だの、というものが、爪《つま》はじきをされようも知れないわ。
旦那は、また、何の徳があって、私を自由にするんだろう。すっかり自分のものにしてしまって、私の身体《からだ》を縛ったろうね。食べさしておくせいだといえば、私ゃ一人で針仕事をしても、くらしかねることもないわ。ねえ、芳さん、芳さんてばさ。」
少年は太《いた》くこの答に窮して、一言もなく聞きたりけり。
十一
お貞はなおも語勢強く、
「ほんとに虫のいい談話《はなし》じゃないかね、それとも私の方から、良人になッて下さいって、頼んで良人にしたものなら、そりゃどんなことでも我慢が出来るし、ちっとも不足のあるもんじゃあないが、私と旦那なんざ、え、芳さん、夫にした妻ではなくッて、妻にした良人だものを。何も私が小さくなッて、いうことを肯《き》いて縮んでいる義理もなし、操を立てるにも及ばないじゃあないか。
芳さんとだってそうだわ。何もなかをよくしたからとッて、不思議なことはないじゃあないかね。こないだ騒ぎが持上って、芳さんがソレ駈出《かけだ》した、あの時でも、旦那がいろいろむずかしくいうからね、(はい、芳さんとは姉弟分《きょうだいぶん》になりました。どういう縁だか知らないけれど、私が銀杏返《いちょうがえし》に結っていますと、亡なった姉様《ねえさん》に肖《に》てるッ
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