知己《ちき》を当代に得たりと言うべし。
 さて本文の九に記せる、
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菊地|弥之助《やのすけ》と云う老人は若き頃駄賃を業とせり。笛の名人にて、夜通しに馬を追いて行く時などは、よく笛を吹きながら行きたり。ある薄月夜にあまたの仲間の者と共に浜へ越ゆる境木峠《さかいぎとうげ》を行くとて、また笛を取出《とりいだ》して吹きすさみつつ、大谷地《おおやち》(ヤチはアイヌ語にて湿地の義なり内地に多くある地名なりまたヤツともヤトともヤとも云うと註あり)と云う所の上を過ぎたり。大谷地は深き谷にて白樺《しらかば》の林しげく、其《その》下は葦《あし》など生じ湿りたる沢なり。此時《このとき》谷の底より何者か高き声にて面白いぞ――と呼《よば》わる者あり。一同|悉《ことごと》く色を失い遁《に》げ走りたりと云えり。
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 この声のみの変化《へんげ》は、大入道よりなお凄《すご》く、即ち形なくしてかえって形あるがごとき心地せらる。文章も三誦《さんしょう》すべく、高き声にて、面白いぞ――は、遠野の声を東都に聞いて、転寝《うたたね》の夢を驚かさる。
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白望《しろみ》の山続きに離森《はなれもり》と云う所あり。その小字《こあざ》に長者屋敷と云うは、全く無人《ぶじん》の境なり。茲《ここ》に行《ゆ》きて炭を焼く者ありき。或夜《あるよ》その小屋の垂菰《たれこも》をかかげて、内を覗《うかが》う者を見たり。髪を長く二つに分けて垂れたる女なり。このあたりにても深夜に女の叫声を聞くことは、珍しからず。
佐々木氏の祖父の弟、白望に茸《きのこ》を採りに行きて宿りし夜、谷を隔てたるあなたの大《おおい》なる森林の前を横ぎりて女の走り行くを見たり。中空《なかぞら》を走る様に思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼ばりたるを聞けりとぞ。
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 修羅の巷《ちまた》を行くものの、魔界の姿見るがごとし。この種の事は自分実地に出あいて、見も聞きもしたる人他国にも間々あらんと思う。われ等もしばしば伝え聞けり。これと事柄は違えども、神田の火事も十里を隔てて幻にその光景を想う時は、おどろおどろしき気勢《けはい》の中に、ふと女の叫ぶ声す。両国橋の落ちたる話も、まず聞いて耳に響くはあわれなる女の声の――人雪頽《ひとなだれ》を打って大川の橋杭《はしぐい》を落ち行く状《さま》
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