「それでも、」
「うむ、構うもんか、いまの石段なんぞ、ちらちら引絡《ひっから》まって歩行悪《あるきにく》そうだった。
 極《きまり》の悪いことも何にもない。誰も見やしないから、これから先は、人ッ子一人居やしない、よ、そうおし、」
「でも、余《あんま》り、」
 片褄《かたづま》取って、その紅《くれない》のはしのこぼれたのに、猶予《ためら》って恥《はずか》しそう。
「だらしがないから、よ。」
 と叱《しか》るように云って、
「母様《おっかさん》に逢いに行くんだ。一体、私の背《せなか》に負《お》んぶをして、目を塞《ふさ》いで飛ぶところだ。構うもんか。さ、手を曳《ひ》こう、辷《すべ》るぞ。」
 と言った。暮れかかった山の色は、その滑《なめら》かな土に、お君の白脛《しらはぎ》とかつ、緋《ひ》の裳《もすそ》を映した。二人は額堂を出たのである。
「ご覧、目の下に遠く樹立《こだち》が見える、あの中の瓦屋根《かわらやね》が、私の居る旅籠《はたご》だよ。」
 崕《がけ》のふちで危《あぶな》っかしそうに伸上《のびあが》って、
「まあ、直《じき》そこでございますね。」
「一飛《ひとッと》びだから、梟が迎いに来たんだろう。」
「あれ。」
「おっと……番毎怯《ばんごとおび》えるな、しっかりと掴《つかま》ったり……」
「あなた、邪慳《じゃけん》にお引張《ひッぱ》りなさいますな。綺麗《きれい》な草を、もうちっとで蹈《ふ》もうといたしました。可愛《かわい》らしい菖蒲《あやめ》ですこと。」
「紫羅傘《いちはつ》だよ、この山にはたくさん咲《さ》く[#「咲《さ》く」は底本では「吹《さ》く」]。それ、一面に。」
 星の数ほど、はらはらと咲き乱れたが、森が暗く山が薄鼠《うすねずみ》になって濡れたから、しきりなく梟の声につけても、その紫の俤《おもかげ》が、燐火《おにび》のようで凄《すご》かった。
 辿《たど》る姿は、松にかくれ、草にあらわれ、坂に沈《しず》み、峰に浮んで、その峰つづきを畝々《うねうね》と、漆のようなのと、真蒼《まさお》なると、赭《しゃ》のごときと、中にも雪を頂いた、雲いろいろの遠山《とおやま》に添うて、ここに射返《いかえ》されたようなお君《きみ》の色。やがて傘《かさ》一つ、山の端《は》に大《おおき》な蕈《くさびら》のようになった時、二人はその、さす方の、庚申堂《こうしんどう》へ着いたのである。

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