に媚《なまめ》かしい上掻《うわがい》、下掻《したがい》、ただ卍巴《まんじともえ》に降る雪の中を倒《さかし》に歩行《ある》く風情になる。バッタリ真暗《まっくら》になって、……影絵は消えたものだそうである。
――聞くにつけても、たしなむべきであろうと思う。――
が、これから話す、わが下町娘《したまちっこ》のお桂《けい》ちゃん――いまは嫁して、河崎夫人であるのに、この行為、この状があったと言うのでは決してない。
問題に触れるのは、お桂ちゃんの母親で、もう一昨年頃|故人《なきひと》の数に入ったが、照降町《てりふりちょう》の背負商《しょいあきな》いから、やがて宗右衛門町の角地面に問屋となるまで、その大島屋の身代八分は、その人の働きだったと言う。体量も二十一貫ずッしりとした太腹《ふとっぱら》で、女長兵衛と称《たた》えられた。――末娘《すえっこ》で可愛いお桂ちゃんに、小遣《こづかい》の出振《だしっぷ》りが面白い……小買ものや、芝居へ出かけに、お母さんが店頭《みせさき》に、多人数立働く小僧中僧|若衆《わかしゅ》たちに、気は配っても見ないふりで、くくり頤《あご》の福々しいのに、円々とした両肱《りょうひじ》の頬杖《ほおづえ》で、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、(お母さん、少しばかり。)黙って金箱から、ずらりと掴出《つかみだ》して渡すのが、掌《てのひら》が大きく、慈愛が余るから、……痩《やせ》ぎすで華奢《きゃしゃ》なお桂ちゃんの片手では受切れない、両の掌に積んで、銀貨の小粒なのは指からざらざらと溢《こぼ》れたと言う。……亡きあとでも、その常用だった粗末な手ぶんこの中に、なおざりにちょっと半紙に包んで、(桂坊へ、)といけぞんざいに書いたものを開けると、水晶の浄土|珠数《じゅず》一|聯《れん》、とって十九のまだ嫁入前の娘に、と傍《はた》で思ったのは大違い、粒の揃った百幾顆《ひゃくいくつ》の、皆真珠であった。
姉娘に養子が出来て、養子の魂を見取ってからは、いきぬきに、時々伊豆の湯治に出掛けた。――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿《じょうやど》[#ルビの「じょうやど」は底本では「じやうやど」]で、十幾年来、馴染《なじみ》も深く、ほとんど親類づき合いになっている。その都度秘蔵娘のお桂さんの結綿《ゆいわた》島田に、緋鹿子《ひがのこ》、匹田《ひった》、絞《しぼり》
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