の。
 お聞きなさいよ。
 可《い》いかい、お聞きなさいよ。
 まあ、ねえ。
 座敷は――こんな貸家建《かしやだて》ぢやありません。壁も、床も、皆|彩色《さいしき》した石を敷いた、明放《あけはな》した二階の大広間、客室《きゃくま》なんです。
 外面《おもて》の、印度《インド》洋に向いた方の、大理石の廻《まわ》り縁《えん》には、軒《のき》から掛けて、床《ゆか》へ敷く……水晶の簾《すだれ》に、星の数々|鏤《ちりば》めたやうな、ぎやまんの燈籠《とうろう》が、十五、晃々《きらきら》点《つ》いて並んで居ます。草花《くさばな》の絵の蝋燭《ろうそく》が、月の桂《かつら》の透くやうに。」
 と襟《えり》を圧《おさ》へた、指の先。

        二

 引合《ひきあ》はせ、又|袖《そで》を当て、
「丁《ちょう》ど、まだ灯《あかし》を入れたばかりの暮方《くれがた》でね、……其の高楼《たかどの》から瞰下《みお》ろされる港口《みなとぐち》の町通《まちどおり》には、焼酎売《しょうちゅううり》だの、雑貨屋だの、油売《あぶらうり》だの、肉屋だのが、皆|黒人《くろんぼ》に荷車を曳《ひ》かせて、……商人《あきんど》は、各自《てんでん》に、ちやるめらを吹く、さゝらを摺《す》る、鈴《ベル》を鳴らしたり、小太鼓を打つたり、宛然《まるで》お神楽《かぐら》のやうなんですがね、家《うち》が大《おおき》いから、遠くに聞えて、夜中の、あの魔もののお囃子《はやし》見たやうよ、……そして車に着いた商人《あきんど》の、一人々々、穂長《ほなが》の槍《やり》を支《つ》いたり、担《かつ》いだりして行《ゆ》く形が、ぞろ/\影のやうに黒いのに、椰子《やし》の樹《き》の茂つた上へ、どんよりと黄色に出た、月の明《あかり》で、白刃《しらは》ばかりが、閃々《ぴかぴか》、と稲妻《いなずま》のやうに行交《ゆきか》はす。
 其の向うは、鰐《わに》の泳ぐ、可恐《おそろし》い大河《おおかわ》よ。……水上《みなかみ》は幾千里《いくせんり》だか分らない、天竺《てんじく》のね、流沙河《りゅうさがわ》の末《すえ》だとさ、河幅が三里の上、深さは何百尋《なんびゃくひろ》か分りません。
 船のある事……帆柱《ほぼしら》に巻着《まきつ》いた赤い雲は、夕日の余波《なごり》で、鰐の口へ血の晩御飯を注込《つぎこ》むんだわね。
 時は十二月なんだけれど、五月のお節句の、此《これ》は鯉《こい》、其《それ》は金銀の糸の翼、輝く虹《にじ》を手鞠《てまり》にして投げたやうに、空を舞つて居た孔雀《くじゃく》も、最《も》う庭へ帰つて居るの……燻占《たきし》めはせぬけれど、棚に飼つた麝香猫《じゃこうねこ》の強い薫《かおり》が芬《ぷん》とする……
 同《おなじ》やうに吹通《ふきとお》しの、裏は、川筋を一つ向うに、夜中は尾長猿《おながざる》が、キツキと鳴き、カラ/\カラと安達《あだち》ヶ|原《はら》の鳴子《なるこ》のやうな、黄金蛇《こがねへび》の声がする。椰子《やし》、檳榔子《びんろうじ》の生え茂つた山に添つて、城のやうに築上《つきあ》げた、煉瓦造《れんがづくり》がづらりと並んで、矢間《やざま》を切つた黒い窓から、弩《いしびや》の口がづん、と出て、幾つも幾つも仰向《あおむ》けに、星を呑《の》まうとして居るのよ……
 和蘭《オランダ》人の館《やかた》なんです。
 其の一《ひとつ》の、和蘭館《オランダかん》の貴公子と、其の父親の二人が客で。卓子《テエブル》の青い鉢、青い皿を囲んで向合《むきあ》つた、唐人《とうじん》の夫婦が二人。別に、肩には更紗《さらさ》を投掛《なげか》け、腰に長剣を捲《ま》いた、目の鋭い、裸《はだか》の筋骨《きんこつ》の引緊《ひきしま》つた、威風の凜々《りんりん》とした男は、島の王様のやうなものなの……
 周囲《まわり》に、可《い》いほど間《ま》を置いて、黒人《くろんぼ》の召使が三人で、謹《つつし》んで給仕に附いて居る所。」
 と俯目《ふしめ》に、睫毛《まつげ》濃く、黒棚《くろだな》の一《ひと》ツの仕劃《しきり》を見た。袖口《そでぐち》白く手を伸《の》べて、
「あゝ、一人|此処《ここ》に居たよ。」
 と言ふ。天窓《あたま》の大きな、頤《あご》のしやくれた、如法玩弄《にょほうおもちゃ》の焼《やき》ものの、ペロリと舌で、西瓜《すいか》喰《く》ふ黒人《くろんぼ》の人形が、ト赤い目で、額《おでこ》で睨《にら》んで、灰色の下唇《したくちびる》を反《そ》らして突立《つった》つ。
「……余り謹《つつし》んでは居ないわね……一寸《ちょいと》、お話の中へ出ておいで。」
 と手を掛けると、ぶるりとした、貧乏動《びんぼうゆる》ぎと云ふ胴揺《どうゆす》りで、ふてくされにぐら/\と拗身《すねみ》に震ふ……はつと思ふと、左の足が股《もも》のつけもとから、ぽきり
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