くち》は珊瑚《さんご》の薄紅《うすくれない》。
「哥太寛《こたいかん》も餞別《せんべつ》しました、金銀づくりの脇差《わきざし》を、片手に、」と、肱《ひじ》を張つたが、撓々《たよたよ》と成つて、紫《むらさき》の切《きれ》も乱るゝまゝに、弛《ゆる》き博多の伊達巻《だてまき》へ。
肩を斜めに前へ落すと、袖《そで》の上へ、腕《かいな》が辷《すべ》つた、……月が投げたるダリヤの大輪《おおりん》、白々《しろじろ》と、揺れながら戯《たわむ》れかゝる、羽交《はがい》の下を、軽く手に受け、清《すず》しい目を、熟《じっ》と合はせて、
「……あら嬉しや!三千日《さんぜんにち》の夜あけ方、和蘭陀《オランダ》の黒船《くろふね》に、旭《あさひ》を載せた鸚鵡《おうむ》の緋の色。めでたく筑前《ちくぜん》へ帰つたんです――
お聞きよ此を! 今、現在、私のために、荒浪《あらなみ》に漂つて、蕃蛇剌馬《ばんじゃらあまん》に辛苦すると同じやうな少《わか》い人があつたらね、――お前は何と云ふの!何と言ふの?
私は、其が聞きたいの、聞きたいの、聞きたいの、……たとへばだよ……お前さんの一言《ひとこと》で、運命が極《きま》ると云つたら、」
と、息切れのする瞼《まぶた》が颯《さっ》と、気を込めた手に力が入つて、鸚鵡の胸を圧《お》したと思ふ、嘴《くちばし》を※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》いて開《あ》けて、カツキと噛《か》んだ小指の一節《ひとふし》。
「あ、」と離すと、爪を袖口《そでぐち》に縋《すが》りながら、胸毛《むなげ》を倒《さかさ》に仰向《あおむ》きかゝつた、鸚鵡の翼に、垂々《たらたら》と鮮血《からくれない》。振離《ふりはな》すと、床《ゆか》まで落ちず、宙ではらりと、影を乱して、黒棚《くろだな》に、バツと乗る、と驚駭《おどろき》に衝《つ》と退《すさ》つて、夫人がひたと遁構《にげがま》への扉《ひらき》に凭《もた》れた時であつた。
呀《や》!西瓜《すいか》は投げぬが、がつくり動いて、ベツカツコ、と目を剥《む》く拍子に、前へのめらうとした黒人《くろんぼ》の其の土人形《つちにんぎょう》が、勢《いきおい》余つて、どたりと仰状《のけざま》。ト木彫のあの、和蘭陀《オランダ》靴は、スポンと裏を見せて引顛返《ひっくりかえ》る。……煽《あおり》をくつて、論語は、ばら/\と暖炉に映つて、赫《かっ》と朱を注《そそ》ぎながら、頁《ペエジ》を開《ひら》く。
雪なす鸚鵡は、見る/\全身、美しい血に染《そま》つたが、目を眠るばかり恍惚《うっとり》と成つて、朗《ほがら》かに歌つたのである。
――港で待つよ――
時に立窘《たちすく》みつゝ、白鞘《しらさや》に思はず手を掛けて、以ての外《ほか》かな、怪異《けい》なるものどもの挙動《ふるまい》を屹《き》と視《み》た夫人が、忘れたやうに、柄《つか》をしなやかに袖に捲《ま》いて、するりと帯に落して、片手におくれ毛を払ひもあへず……頷《うなず》いて……莞爾《にっこり》した。
底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
1940(昭和15)年発行
初出:「中央公論」
1912(大正元)年11月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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