しかったというのは、或《ある》晩|多勢《おおぜい》の人が来て、雨落《あまお》ちの傍《そば》の大きな水瓶《みずがめ》へ種々《いろいろ》な物品《もの》を入れて、その上に多勢《おおぜい》かかって、大石を持って来て乗せておいて、最早《もう》これなら、奴も動かせまいと云っていると、その言葉の切れぬ内に、グワラリと、非常な響《ひびき》をして、その石を水瓶《みずがめ》から、外へ落したので、皆《みんな》が顔色を変えたと云う事。一時《あるとき》などは椽側《えんがわ》に何だか解らぬが動物の足跡が付いているが、それなんぞしらべて丁度《ちょうど》障子の一小間《ひとこま》の間を出入《ではいり》するほどな動物だろうという事だけは推測出来たが、誰《たれ》しも、遂にその姿を発見したものはない。終《つい》には洋燈《らんぷ》を戸棚へ入れるというような、危険|千万《せんばん》な事になったので、転居をするような仕末、一時《いちじ》は非常な評判になって、家《うち》の前は、見物の群集で雑沓《ざっとう》して、売物店《うりものだな》まで出たとの事。
 これと似た談《はなし》が房州《ぼうしゅう》にもある、何でも白浜《しらはま》の近方《きんぼう》だったが、農夫以前の話とおなじような事がはじまった、家《うち》が、丁度《ちょうど》、谷間のようなところにあるので、その両方の山の上に、猟夫《かりゅうど》を頼んで見張《みはり》をしたが、何も見えないが、奇妙に夜に入《い》るとただ猟夫《かりゅうど》がつれている、犬ばかりには見えるものか、非常に吠えて廻ったとの事、この家に一人、子守娘が居て、その娘は、何だか変な動物《もの》が時々来るよといっておったそうである。
 同《おんな》じ様に、越前国丹生郡天津村《えちぜんのくににゅうぐんあまつむら》の風巻《かざまき》という処に善照寺《ぜんしょうじ》という寺があって此処《ここ》へある時村のものが、貉《むじな》を生取《いけど》って来て殺したそうだが、丁度《ちょうど》その日から、寺の諸所《しょしょ》へ、火が燃え上るので、住職も非常に困って檀家《だんか》を狩集《かりあつ》めて見張《みはる》となると、見ている前で、障子がめらめらと、燃える、ひゃあ、と飛《とび》ついて消す間に、梁《うつばり》へ炎が絡む、ソレ、と云う内羽目板から火を吐出《ふきだ》す、凡《およ》そ七日ばかりの間、昼夜|詰切《つめき》りで寐《
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