、中央《まんなか》で四人出会ったところで、皆《みんな》がひったり座る、勿論《もちろん》室の内は燈《あかり》をつけず暗黒《まっくら》にしておく、其処《そこ》で先《ま》ず四人の内の一人が、次の人の名を呼んで、自分の手を、呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず、返事をして、また同じ方法で、次の人の膝へ手を置くという風にして、段々《だんだん》順を廻すと、恰度《ちょうど》その内に一人返事をしないで座っている人が一人増えるそうで。
「本叩き」というのは、これも同じく八畳の床の間なしの座敷を暗がりにして、二人が各《おのおの》手に一冊|宛《ずつ》本を持って向合《むかいあ》いの隅々《すみずみ》から一人|宛《ずつ》出て来て、中央《まんなか》で会ったところで、その本を持って、下の畳をパタパタ叩く、すると唯《ただ》二人で、叩く音が、当人は勿論《もちろん》、襖越《ふすまごし》に聞いている人にまで、何人で叩くのか、非常な多人数《たにんず》で叩いている音の様に聞《きこ》えると言います。
これで思出《おもいだ》したが、この魔のやることは、凡《すべ》て、笑声《わらいごえ》にしても、唯《ただ》一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰《あだか》も数《す》百人の笑うかの如き響《ひびき》をするように思われる。
私が曾《かつ》て、逗子《ずし》に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度《ちょうど》秋の中旬《はじめ》だった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女《じょちゅう》と三人で居たが、家主《やぬし》はつい裏の農夫《ひゃくしょう》であった。或《ある》晩私は背戸《せど》の据《すえ》風呂から上って、椽側《えんがわ》を通って、直《す》ぐ傍《わき》の茶の間に居ると、台所を片着《かたづ》けた女中が一寸《ちょいと》家《うち》まで遣《や》ってくれと云って、挨拶をして出て行く、と入違《いれちが》いに家内は湯殿に行ったが、やがて「手桶が無い」という、私の入っていた時には、現在水が入ってあったものが無い道理はない、とやったが、実際見えないという。私も起《た》って行って見たが、全く何処《どこ》にも見えない、奇妙な事もあるものだと思ったが、何だか、嫌な気持のするので、何処《どこ》までも確《たしか》めてやろうと段々《だんだん》考えてみると、元来《もと》この手桶というは、私共が転居《ひっこ》して来た時、裏の家主《やぬし》で
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