《い》う所などはどうでもよし、心すべき事ならずや。
 近頃心して人に問う、甲冑堂の花あやめ、あわれに、今も咲けるとぞ。
 唐土の昔、咸寧《かんねい》の吏、韓伯《かんはく》が子|某《なにがし》と、王蘊《おううん》が子某と、劉耽《りゅうたん》が子某と、いずれ華冑《かちゅう》の公子等、相携えて行《ゆ》きて、土地の神、蒋山《しょうざん》の廟《びょう》に遊ぶ。廟中数婦人の像あり、白皙《はくせき》にして甚だ端正。
 三人この処に、割籠《わりご》を開きて、且つ飲み且つ大《おおい》に食《くら》う。その人も無げなる事、あたかも妓を傍《かたわら》にしたるがごとし。あまつさえ酔に乗じて、三人おのおの、その中《うち》三婦人の像を指《ゆびさ》し、勝手に選取《よりど》りに、おのれに配して、胸を撫《な》で、腕を圧《お》し、耳を引く。
 時に、その夜の事なりけり。三人同じく夢む。夢に蒋侯《しょうこう》、その伝教《さんだいふ》を遣わして使者の趣を白《もう》さす。曰く、不束《ふつつか》なる女ども、猥《みだり》に卿等《けいら》の栄顧を被る、真に不思議なる御縁の段、祝着に存ずるものなり。就《つい》ては、某《それ》の日、あたかも黄道|吉辰《きっしん》なれば、揃って方々《かたがた》を婿君にお迎え申すと云う。汗冷たくして独りずつ夢さむ。明くるを待ちて、相見て口を合わするに、三人符を同じゅうしていささかも異なる事なし。ここにおいて青くなりて大《おおい》に懼《おそ》れ、斉《ひと》しく牲《にえ》を備えて、廟に詣《まい》って、罪を謝し、哀を乞う。
 その夜また倶《とも》に夢む。この度や蒋侯神、白銀の甲冑し、雪のごとき白馬に跨《またが》り、白羽の矢を負いて親しく自《みずか》ら枕に降《くだ》る。白き鞭《むち》をもって示して曰く、変更の議|罷成《まかりな》らぬ、御身等《おんみら》、我が処女《むすめ》を何と思う、海老茶《えびちゃ》ではないのだと。
 木像、神《しん》あるなり。神なけれども霊あって来り憑《よ》る。山深く、里|幽《ゆう》に、堂宇|廃頽《はいたい》して、いよいよ活けるがごとくしかるなり。
[#地から1字上げ]明治四十四(一九一一)年六月



底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十八卷」岩波書店
   1942(昭和17)年11月30
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