は網代の郷の舊大莊屋の内へ療治を頼まれた。旗櫻の名所のある山越の捷※[#「こざとへん+徑のつくり」、第3水準1−93−59]は、今は茅萱に埋もれて、人の往來は殆どない、伊東通ひ新道の、あの海岸を辿つて皈つた、爾時も夜更であつた。
やがて二時か。
もう、網代の大莊屋を出た時から、途中松風と浪ばかり、路に落ちた緋い木の葉も動かない、月は皎々昭々として、磯際の巖も一つ一つ紫水晶のやうに見えて山際の雜樹が青い、穿いた下駄の古鼻緒も霜を置くかと白く冴えた。
……牡丹は持たねど越後の獅子は……いや、然うではない、嗜があつたら、何とか石橋でも口誦んだであらう、途中、目の下に細く白浪の糸を亂して崖に添つて橋を架けた處がある、其の崖には瀧が掛つて橋の下は淵になつた所がある、熱海から網代へ通る海岸の此處は謂はゞ絶所である。按摩さんが丁ど其の橋を渡りかゝると、浦添を曲る山の根に突出た巖膚に響いて、カラ/\コロ/\と、冴えた駒下駄の音が聞こえて、ふと此方の足の淀む間に、其の音が流れるやうに、もう近い、勘でも知れる、確に若い婦だと思ふと悚然とした。
寐鳥の羽音一つしない、かゝる眞夜中に若い婦が。按摩さん
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