―私ども夫婦と、もう一人の若い方、と云つて三十を越えた娘……分か?女房の義理の姪、娘が縁づいたさきの舅の叔母の從弟の子で面倒だけれど、姉妹分の娘だから義理の姪、どうも事實のありのまゝにいふとなると説明は止むを得ない。とに角、若いから紅氣がある、長襦袢の褄がずれると、縁が高いから草履を釣られ氣味に伸上つて、
「ごめん下さいまし。」
すぐに返事のない處へ、小肥りだけれど氣が早いから、三寶越に、眉で覗くやうに手を伸ばして障子腰を細目に開けた。
山氣は翠に滴つて、詣づるものゝ袖は墨染のやうだのに、向つた背戸庭は、一杯の日あたりの、ほか/\とした裏縁の障子の開いた壁際は、留守居かと思ふ質素な老僧が、小机に對ひ、つぐなんで、うつしものか、かきものをしてござつた。
「ごめん下さいまし、お札を頂きます。」
黒い前髮、白い顏が這ふばかり低く出たのを、蛇體と眉も顰めたまはず、目金越の睫の皺が、日南にとろりと些と伸びて、
「あゝ、お札はの、御隨意にの頂かつしやつてようござるよ。」
と膝も頭も聲も圓い。
「はい。」
と、立直つて、襟の下へ一寸端を見せてお札を受けた、が、老僧と机ばかり圓光の裡の日だまりで、あたりは森閑した、人氣のないのに、何故か心を引かれたらしい。
「あの、あなた。」
かうした場所だ、對手は弘法樣の化身かも知れないのに、馴々しいことをいふ。
「お一人でございますか。」
「おゝ、留守番の隱居爺ぢや。」
「唯たお一人。」
「さればの。」
「お寂しいでせうね、こんな處にお一人きり。」
「いや、お堂裏へは、近い頃まで猿どもが出て來ました、それはもう見えぬがの、日和さへよければ、此の背戸へ山鳥が二羽づゝで遊びに來ますで、それも友になる、それ。」
目金がのんどりと、日に半面に庭の方へ傾いて、
「巖の根の木瓜の中に、今もの、來て居ますわ。これぢや寂しいとは思ひませぬぢや。」
「はア。」
と息とゝもに娘分は胸を引いた、で、何だか考へるやうな顏をしたが、「山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。」と下向の橋を渡りながら言つた、――「洒落てるわねえ」では困る、罪障の深い女性は、こゝに至つてもこれを聞いても尼にもならない。
どころでない、宿へ皈ると、晩餉の卓子臺もやひ、一銚子の相伴、二つ三つで、赤くなつて、あゝ紅木瓜になつた、と頬邊を壓へながら、山鳥の旦那樣はいゝ男か知ら。いや、尼處か
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