《ちら》ばったように差置いた、煙草《たばこ》の箱と長煙管《ながぎせる》。
片手でちょっと衣紋《えもん》を直して、さて立ちながら一服吸いつけ、
「且那え。」
「何だ。」
「もう、お無駄でござりまするからお止《よ》しなさりまし、第一あれは余り新しゅうないのでござります。それにお見受け申しました処、そうやって御酒《ごしゅ》もお食《あが》りなさりませず、滅多に箸《はし》をお着けなさりません。何ぞ御都合がおありなさりまして、私《わし》どもにお休み遊ばします。時刻《とき》が経《た》ちまするので、ただ居てはと思召《おぼしめ》して、婆々に御馳走《ごちそう》にあなた様、いろいろなものをお取り下さりますように存じます、ほほほほほ。」
笑《わらい》とともに煙を吹き、
「いいえ、お一人のお客様には難有過《ありがたす》ぎましたほど儲《もう》かりましてございまする。大抵のお宿銭ぐらい頂戴をいたします勘定でござりますから、私《わたくし》どもにもう一室《ひとま》、別座敷でもござりますなら、お宿を差上げたい位に、はい、もし、存じまするが、旦那様。」
婆々は框《かまち》に腰を下して、前垂《まえだれ》に煙草の箱、煙管を長く膝にしながら、今こう謂《い》われて、急に思い出したように、箸の尖《さき》を動かして、赤福の赤きを顧みず、煮染《にしめ》の皿の黒い蒲鉾《かまぼこ》を挟んだ、客と差向いに、背屈《せこご》みして、
「旦那様、決してあなた、勿体《もったい》ない、お急立《せきた》て申しますわけではないのでござりますが、もし、お宿はお極《きま》り遊ばしていらっしゃいますかい。」
客はものいわず。
「一旦《いったん》どこぞにお宿をお取りの上に、お遊びにお出掛けなさりましたのでござりますか。」
「何、山田の停車場《ステエション》から、直ぐに、右|内宮道《ないぐうみち》とある方へ入って来たんだ。」
「それでは、当伊勢はお馴《な》れ遊ばしたもので、この辺には御親類でもおありなさりますという。――」と、婆々は客の言尻《ことばじり》について見たが、その実、土地馴れぬことは一目見ても分るのであった。
「どうして、親類どころか、定宿《じょうやど》もない、やはり田舎ものの参宮さ。」
「おや!」
と大きく、
「それでもよく乗越しておいでなさりましたよ。この辺までいらっしゃいます前には、あの、まあ、伊勢へおいで遊ばすお方に、
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