よ。
 判りましたか、私です。
 何も恥かしい事はありません、ちっとも極《きま》りの悪いことはありませんです。しっかりなさい。
 御覧なさい、誰も居ないです、ただ私一人です。鳥山たった一人、他《ほか》には誰も居《お》らんですから。」
 海の方を背《そびら》にして安からぬ状《さま》に附添った、廉平の足許に、見得もなく腰を落し、裳《もすそ》を投げて崩折《くずお》れつつ、両袖に面《おもて》を蔽《おお》うて、ひたと打泣くのは夫人であった。
「ほんとうに夫人《おくさん》、気を落着けて下さらんでは不可《いけ》ません。突然《いきなり》海へ飛込もうとなすったりなんぞして、串戯《じょうだん》ではない。ええ、夫人《おくさん》、心が確《たしか》になったですか。」
 声にばかり力を籠《こ》めて、どうしようにも先は婦人《おんな》、ひとえに目を見据えて言うのみであった。
 風そよそよと呼吸《いき》するよう、すすりなきの袂《たもと》が揺れた。浦子は涙の声の下、
「先生、」と幽《かすか》にいう。
「はあ、はあ、」
 と、纔《わず》かに便《たより》を得たらしく、我を忘れて擦り寄った。
「私《わ》、私は、もう死んでしまいたいのでございます。」
 わッとまた忍び音《ね》に、身悶《みもだ》えして突伏すのである。
「なぜですか、夫人《おくさん》、まだ、どうかしておいでなさる、ちゃんとなさらなくッては不可《いか》んですよ。」
「でも、貴下《あなた》、私は、もう……」
「はあ、どうなすった、どんなお心持なんですか。」
「先生、」
「はあ、どうですな。」
「私が、あの、海へ入って死のうといたしましたのより、貴下《あなた》は、もっとお驚きなさいました事がございましょう。」
「……………………」
 何と言おうと、黙って唾《つ》を呑《の》む。
「私が、私が、こんな処に船の中に、寝て、寝て、」
 と泣いじゃくりして、
「寝かされておりましたのに、なお吃驚《びっくり》なさいましてしょうねえ、貴下。」
「……ですが、それは、しかし……」とばかり、廉平は言うべき術《すべ》を知らなかった
「先生、」
 これぎり、声の出ない人になろうも知れず、と手に汗を握ったのが、我を呼ばれたので、力を得て、耳を傾け、顔を寄せて、
「は、」
「ここは、どこでございます。」
「ここですか、ここは、一つ目の浜を出端《ではず》れた、崖下の突端《とっぱずれ》の処ですが、」
「もう、夜があけましたのでございますか。」
「明けたですよ。明方です、もう日が当るばかりです。」
 聞くや否や、
「ええ!」とまた身を震わした。浦子はそれなり、腰を上げて立とうとして、ままならぬ身をあせって、
「恥かしい、私、恥かしいんですよ。先生、どうしましょう、人が見ます。人が来ると不可《いけ》ません、人に見られるのは厭《いや》ですから、どうぞ死なして下さいまし、死なして下さいましよ。」
「と、ともかく。ですからな、夫人《おくさん》、人が来ない内に、帰りましょう。まだ大して人通《ひとどおり》もないですから。疾《はや》く、さあ、疾く帰ろうではありませんか。お内へ行って、まず、お心をお鎮めなさい、そうなさい。」
 浦子は烈《はげ》しく頭《かぶり》を掉《ふ》った。

       二十五

 為《せ》ん術《すべ》を知らず黙っても、まだ頭《かぶり》をふるのであるから、廉平は茫然《ぼうぜん》として、ただ拳《こぶし》を握って、
「どうなさる。こうしていらしっては、それこそ、人が寄って来るか分りません。第一、捜しに出ましたのでも四人や八人ではありません。」
 言いも終らず、あしずりして、
「どうしましょう、私、どうしましょうねえ。どうぞ、どうぞ、貴下《あなた》、一思いに死なして下さいまし、恥かしくっても、死骸《しがい》になれば……」
 泣くのに半ば言消《ことき》えて、
「よ、後生ですから、」
 も曇れる声なり。
 心弱くて叶《かな》うまじ、と廉平はやや屹《きっ》としたものいいで、
「飛んだ事を! 夫人《おくさん》、廉平がここに居《お》るです。決《け》して、決《け》して、そんな間違《まちがい》はさせんですよ。」
「どうしましょうねえ、」
 はッと深く溜息《ためいき》つくのを、
「……………………」
 ただ咽喉《のど》を詰めて熟《じっ》と見つつ、思わず引き入れられて歎息した。
 廉平は太い息して、
「まあ、貴女《あなた》、夫人《おくさん》、一体どうなさった。」
「訳を、訳をいえば貴下《あなた》、黙って死なして下さいますよ。もう、もう、もう、こんな汚《けがら》わしいものは、見るのも厭《いや》におなりなさいますよ。」
「いや、厭になるか、なりませんか、黙って見殺しにしましょうか。何しろ、訳をおっしゃって下さい。夫人《おくさん》、廉平です。人にいって悪い事なら、私は
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