おおびく》が五つ六つ。

       二十一

 さてこの丘の根に引寄せて、一|艘《そう》苫《とま》を掛けた船があった。海士《あま》も簑《みの》きる時雨かな、潮の※[#「さんずい+散」、240−3]《しぶき》は浴びながら、夜露や厭《いと》う、ともの優しく、よろけた松に小綱を控え、女男《めお》の波の姿に拡げて、すらすらと乾した網を敷寝に、舳《みよし》の口がすやすやと、見果てぬ夢の岩枕。
 傍《かたわら》なる苫屋の背戸に、緑を染めた青菜の畠、結い繞《めぐ》らした蘆垣《あしがき》も、船も、岩も、ただなだらかな面平《おもたいら》に、空に躍った刎釣瓶《はねつるべ》も、靄《もや》を放れぬ黒い線《いとすじ》。些《さ》と凹凸なく瞰下《みおろ》さるる、かかる一枚の絵の中に、裳《もすそ》の端さえ、片袖《かたそで》さえ、美しき夫人の姿を、何処《いずこ》に隠すべくも見えなかった。
 廉平は小さなその下界に対して、高く雲に乗ったように、円く靄に包まれた丘の上に、踏《ふみ》はずしそうに崖《がけ》の尖《さき》、五尺の地蔵の像で立ったけれども。
 頭《こうべ》を垂れて嘆息した。
 さればこの時の風采《ふうさい》は、悪魔の手に捕えられた、一体の善女《ぜんにょ》を救うべく、ここに天降《あまくだ》った菩薩《ぼさつ》に似ず、仙家の僕《しもべ》の誤って廬《ろ》を破って、下界に追い下《おろ》された哀れな趣。
 廉平は腕を拱《こまぬ》いて悄然《しょうぜん》としたのである。時に海の上にひらめくものあり。
 翼の色の、鴎《かもめ》や飛ぶと見えたのは、波に静かな白帆の片影。
 帆風に散るか、露《もや》消えて、と見れば、海に露《あらわ》れた、一面|大《おおい》なる岩の端へ、船はかくれて帆の姿。
 ぴたりとついて留まったが、飜然《ひらり》と此方《こなた》へ向《むき》をかえると、渚《なぎさ》に据《すわ》った丘の根と、海なるその岩との間、離座敷の二三間、中に泉水を湛《たた》えた状《さま》に、路一条《みちひとすじ》、東雲《しののめ》のあけて行《ゆ》く、蒼空《あおぞら》の透くごとく、薄絹の雲左右に分れて、巌《いわ》の面《おも》に靡《なび》く中を、船はただ動くともなく、白帆をのせた海が近づき、やがて横ざまに軽《かろ》くまた渚に止《とま》った。
 帆の中より、水際立って、美しく水浅葱《みずあさぎ》に朝露置いた大輪《おおりん》の花一
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