うよう判然《はっきり》と、蚊帳の緑は水ながら、紅《くれない》の絹のへり、かくて珊瑚《さんご》の枝ならず。浦子は辛うじて蚊帳の外に、障子の紙に描かれた、胸白き浴衣の色、腰の浅葱《あさぎ》も黒髪も、夢ならぬその我が姿を、歴然《ありあり》と見たのである。
十七
しばらくして、浦子は玉《ぎょく》ぼやの洋燈《ランプ》の心を挑《あ》げて、明《あかる》くなった燈《ともし》に、宝石輝く指の尖《さき》を、ちょっと髯《びん》に触ったが、あらためてまた掻上《かきあ》げる。その手で襟を繕って、扱帯《しごき》の下で褄《つま》を引合わせなどしたのであるが、心には、恐ろしい夢にこうまで疲労して、息づかいさえ切ないのに、飛んだ身体《からだ》の世話をさせられて、迷惑であるがごとき思いがした。
且つその身体を棄《す》てもせず、老実《まめ》やかに、しんせつにあしらうのが、何か我ながら、身だしなみよく、床《ゆか》しく、優しく、嬉しいように感じたくらい。
一つくぐって鳩尾《みずおち》から膝《ひざ》のあたりへずり下った、その扱帯の端を引上げざまに、燈《ともし》を手にして、柳の腰を上へ引いてすらりと立ったが、小用《こよう》に、と思い切った。
時に、障子を開けて、そこが何になってしまったか、浜か、山か、一里塚か、冥途《めいど》の路《みち》か。船虫が飛ぼうも、大きな油虫が駈《か》け出そうも料られない。廊下へ出るのは気がかりであったけれど、なおそれよりも恐ろしかったのは、その時まで自分が寝て居た蚊帳《かや》の内を窺《うかが》って見ることで。
蹴出《けだ》しも雪の爪尖《つまさき》へ、とかくしてずり下り、ずり下る寝衣《ねまき》の褄《つま》を圧《おさ》えながら、片手で燈をうしろへ引いて、ぼッとする、肩越のあかりに透かして、蚊帳を覗《のぞ》こうとして、爪立《つまだ》って、前髪をそっと差寄せては見たけれども、夢のために身を悶《もだ》えた、閨《ねや》の内の、情《なさけ》ない状《さま》を見るのも忌《いま》わしし、また、何となく掻巻《かいまき》が、自分の形に見えるにつけても、寝ていて、蚊帳を覗《うかが》うこの姿が透いたら、気絶しないでは済むまいと、思わずよろよろと退《すさ》って、引《ひっ》くるまる裳《もすそ》危《あやう》く、はらりと捌《さば》いて廊下へ出た。
次の室《へや》は真暗《まっくら》で、そこには
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