が長い嘴《くちばし》で留ったようで、何となく、水の音も、ひたひたとするようだったが、この時、木菟《みみずく》のようになって、とっぷりと暮れて真暗《まっくら》だった。
「どうした、どうした。……おお、泣いているのか。――私は……」
「ああれ、旦那さん。」
と、厠《かわや》の板戸を、内から細目に、小春の姿が消えそうに、
「私、つい、つい、うっかりして、あのお恥かしくって泣くんですわ……ここには水がありません。」
「そうか。」
と教授が我が手で、その戸を開けてやりつつ、
「こっちへお出で、かけてやろう。さ。」
「は。」
「可《い》いか、十分に……」
「あれ、どうしましょう、勿体ない、私は罰が当ります。」
懐紙に二階の影が散る。……高い廊下をちらちらと燭台《しょくだい》の火が、その高楼《たかどの》の欄干《てすり》を流れた。
「罰の当ったはこの方だ。――しかし、婦人《おんな》の手に水をかけたのは生れてからはじめてだ。赤ん坊になったから、見ておくれ。お庇《かげ》で白髪が皆消えて、真黒《まっくろ》になったろう。」
まことに髪が黒かった。教授の顔の明るさ。
「この手水鉢は、実盛《さねもり》の首洗《くびあらい》の池も同じだね。」
「ええ、縁起でもない、旦那さん。」
「ま、姦通《まおとこ》め。ううむ、おどれ等。」
「北国一だ。……危《あぶね》えよ。」
殺した声と、呻《うめ》く声で、どたばた、どしんと音がすると、万歳と、向《むこう》二階で喝采《やんや》、ともろ声に喚《わめ》いたのとほとんど一所に、赤い電燈が、蒟蒻《こんにゃく》のようにぶるぶると震えて点《つ》いた。
七
小春の身を、背に庇《かば》って立った教授が、見ると、繻子《しゅす》の黒足袋の鼻緒ずれに破れた奴《やつ》を、ばたばたと空に撥《は》ねる、治兵衛坊主を真俯向《まうつむ》けに、押伏せて、お光が赤蕪《あかかぶ》のような膝をはだけて、のしかかっているのである。
「危い――刃ものを持ってるぞ。」
絨毯《じゅうたん》を縫いながら、治兵衛の手の大小刀《おおナイフ》が、しかし赤黒い電燈に、錆蜈蚣《さびむかで》のように蠢《うごめ》くのを、事ともしないで、
「何が、犬にも牙《きば》がありゃ、牛にも角があるだあね。こんな人間の刃ものなんぞ、どうするかね。この馬鹿野郎。それでも私が来ねえと、大事なお客さんに怪我をさ
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